戦国【光秀】共通3話 後半
「よくない噂を聞いたの。光秀さんの家臣が捕らえた顕如の手先のことで……」
政宗「…………」
「首謀者を聞き出すために、光秀さんが、その……ひどい拷問をしたって……」
政宗「それは、事実だ」
(……! そんな……)
政宗「何を驚いてる。お前、光秀が敵に情けをかけるような甘い男に見えるのか?」
「っ……ううん、見えない……」
私自身この目で見た。戦場で光秀さんがためらいなく敵将を撃ち抜く瞬間を。
(でも……)
「でも……光秀さんは……優しいところも、なくはないから」
政宗「へえ? それがお前から見た『明智光秀』か。生ぬるくて笑えるな」
(な……っ)
政宗「信長様が過去、比叡山延暦寺を焼き討ちしたことはお前も知ってるだろ」
「……聞いたことはある。光秀さんに少し習ったから」
政宗「あの戦、直接手を下したのは光秀だ。根切りにしたのもあいつの発案だって話だ」
「根切りって……?」
政宗「皆殺しってことだ」
(皆殺し……)
どくん、と心臓が音を立てる。
政宗「延暦寺の広い敷地内には、生臭坊主どもがさらってきた女、子どもも住みついていた。そいつら全員、坊主もろとも焼き殺されて、骨も残らなかった」
(っ、ひどい……)
戦場でかいだ血と硝煙の匂いが、鼻先を掠めた気がした。
(信じたくない……。でも……)
腹の底の読めないあの微笑には、恐ろしいほど焼け野原が似合う。
政宗「織田軍傘下の人間なら誰でも知ってる。光秀の容赦のなさをな。そんなやつが、主君の命を奪いかけた奴の手先を取り調べるのに、情けをかけるわけがないだろ」
「っ……でも……拷問する以外に、方法はなかったのかな……」
政宗「愉快なやり方だとは俺も思わないが、手っ取り早く敵の情報を入手するには有効な手段だ。敵陣に乗り込んで味方を危険にさらすこともない」
政宗の荒々しく迷いのない声が、呆然とする私を揺さぶる。
政宗「美香、俺たちがやってるのは餓鬼の喧嘩じゃない。生き死にをかけた、戦だ」
(……っ、なんて目をするんだろう)
研ぎ上げた刃物のように、政宗の隻眼がギラリと光っている。
この人も光秀さんと同じく、容赦のなさを秘めた武人なのだと思い知る。
政宗「……お前、普段よっぽどあいつに甘やかされてるんだな」
「え……?」
政宗「光秀を優しい男だと勘違いしてる奴は、日ノ本中探してもお前くらいだ」
「そんなことは……」
と言いかけて、記憶の引き出しをひっくり返したけれど、反論材料は出てこない。
「……あるかも」
政宗「だろ」
(武将のみんなは光秀さんの実力を認めてるけど、人間関係は円滑とは言い難そうだし……町の女の子たちも、魅力的だとは言ってたけど、優しいとはひと言も言わなかった。光秀さんに反感を持ってる織田軍の家臣も少なくないみたいだし……)
「光秀さんって、実は敵が多かったりする……?」
政宗「というより、あいつは嬉々として敵を作って回ってるところがある」
「ええ? なんでそんなこと……」
政宗「俺が知るか」
そう言いつつも、政宗はどこか楽しそうだ。
(光秀さん滅茶苦茶なところを、政宗は気に入ってるんだな)
政宗「まあ、光秀が残酷な男だからって、お前の目から見たあいつが幻ってことにはならない。あいつはわかりにくくてややこしいが、その分、面白い男だと俺は思ってる。お前はお前で、あいつがどういう男か見定めることだな」
(政宗……)
慰められたわけでも励まされたわけでもないけれど、嘘のない厳しい言葉が勇気をくれた。
「そうしてみる。色々話してくれてありがとう」
政宗とわかれたあとも、頭の中に光秀さんが居座り続け、掃除ははかどらなかった。
光秀さんの怖い面を知らされた今も、『きっとそれだけじゃないはず』と思っている自分がいる。
(どうして、こんなに気になるんだろう。謎めいた人だから……こんなにも、わかりたいと思ってしまうのかな)
光秀さんはまるで、立入禁止の底なし沼みたいだ。
近づけば危険だと誰もが警告する。帰ってこられなかった人もいるらしい。それでも–––
いけないと知っていて、その深淵を覗いてみたくなる。
(……次、いつ会えるかな)
私の思考は結局、そこに戻っていくのだった。
その夜–––
(ん……?)
寝支度を整えた頃、天井裏からコツコツとノックするような音が聞こえた。
「っ、そこに、誰かいるの!?」
とっさに、光秀さんに習った護身術の構えを取る。
佐助「警戒させてすまない、美香さん。どうかファイティングポーズを解いてほしい」
(佐助くん!?)
戸板を外し、佐助くんが鮮やかにバク宙を決めて畳に着地した。
「すごい……! 佐助くん、乱世で立派に忍者をやってるんだね」
佐助「それほどでも」
謙虚にそう言い、佐助くんは口布を外して正座する。
佐助「ご無沙汰してしまってすまない。元気だった?」
「うん! 佐助くんも元気そうでよかった」
佐助「もう気づいたかもしれないけど、俺は……」
「……わかってる。佐助くんは、織田軍の敵側にいるんだね」
佐助「……ああ。この前きちんと話せなくてごめん」
「気にしないで。敵地のど真ん中で白昼堂々明かせる話じゃないよね。それより、こんなところに来て大丈夫……? 安土城は佐助くんにとって敵の本拠地でしょう?」
佐助「問題ない、敵地に忍び込んでこそ忍びだ」
(佐助くん、忍者としてすっかり戦国時代に馴染んでるな)
佐助「次の任務を命じられる前に、君に伝えておきたいことがあって来たんだ」
「伝えたいことって……?」
佐助「現在、織田軍と上杉武田軍は国境を挟んで完全に膠着状態に入った。このままいけば、大きな合戦が始まる前にワームホールが開く日を迎えられるかもしれない」
「本当……!?」
(だったら、もう戦場に連れ出されずに済む……)
佐助「ただし今は乱世、油断はできない。戦の火種は、安土と春日山の間にだけあるわけじゃない」
「たしかにそうだね……」
(ついこの前、本能寺の変の首謀者の名前が判明したばっかりだし……。天下人の地位を狙っている人が、まだ他にいてもおかしくない)
佐助「俺も次の任務は、織田軍以外の勢力の調査に当たることになってる」
「織田軍以外の勢力……?」
佐助「ここへ来る前、職場で思わぬトラブルが発生して……。いや、俺のことはいい。とにかく美香さんは、安土の武将たちに守られながら、のんびり戦国ライフを楽しんで」
「職場が大変な時に知らせに来てくれてありがとう。話せてほっとした」
佐助「どういたしまして。ここでの生活で困ってることはない? 戦国時代四年生の俺に何でも聞いて」
(困ってること……)
「特にないかな。光秀さんに時々振り回されるくらいで」
佐助「光秀さんって、明智光秀……? 美香さんはそんな大物と親しくしてるのか」
「うーん、親しいってほどじゃないけど……。そうだ、佐助くん。現代の歴史だと『明智光秀』はどんな人物として伝わってるのかな?」
(史実からアプローチすれば、少しは光秀さんの人柄がつかめるかも)
期待して問いかけると、佐助くんはかすかに眉根を寄せて考え込んだ。
佐助「……明智光秀については、不明な部分が多いんだ。織田信長の家臣で本能寺の変の首謀者。三日天下ののち豊臣秀吉に討たれたのは君も知ってると思う」
「うん。小説やドラマや映画で何回も描かれてる有名な逸話だよね」
佐助「織田信長を裏切った動機は、いまだに解明されていない。日本史におけるミステリーのひとつだ」
(そうなんだ……)
私たちが飛ばされたこの世界では、本能寺の変を起こしたのは光秀さんじゃない。
けれど、彼に裏切りの噂が付きまとっていることも事実だ。
佐助「出自についても諸説あって定かじゃないんだ。大勢の学者が十人十色の学説を唱えてるから……。『明智光秀』という武将の人物像は、ピントの合ってない写真みたいに、現代でもぼやけてる」
「なんだか光秀さんらしいな……」
佐助「当人を知る君から見ても、光秀さんはつかみどころのない人物なんだな」
「そんなの。考えてることがちっとも読めなくて。乱世の生き延び方を色々教えてくれるんだけど、からかわれてばっかりで困ってるんだ」
佐助「その割には、楽しそうだな」
「え……? 楽しそうに見えた?」
佐助「見えた」
(不本意……!)
珍しく微笑んでいる佐助くんを前に、頬がじわりと熱を持つ。
佐助「君も戦国ライフを満喫してるみたいで安心した。頻繁には会いに来られないけど、お互い残り二ヶ月半を生き延びて現代に帰ろう」
「うん……! 佐助くん、帰り道、どうか気をつけてね」
佐助「承知した。–––これにてドロン」
佐助くんが天井裏へと消えたあと、冷えた布団に身体を滑り込ませ、私は思いを巡らせ続けた。
(光秀さんのことを深く知る人は、この世界にひとりもいないみたいに思える。乱世でも現代でも。だったら、私が……私があの人の謎を、解いてみたい……)
重くなるまぶたの裏側に、微笑む光秀さんの姿がおぼろげに浮かぶ。
だんだんその輪郭はぼやけ、やがて夢に溶けた。
…………
光秀さんの拷問に関する噂は、日に日に過熱していった。
「光秀さんが実は顕如と繋がってる……!?」
三成「はい、そんな噂がまことしやかに囁かれているそうです」
家康「『本能寺の一件の関係者をあれほど容易に捕えられるはずがない。明智光秀も一味なのでは』だって」
仕事の合間に部屋に立ち寄ってくれたふたりは、同時にため息をついた。
「おかしな話だね。もし光秀さんが顕如の一味なら、味方を拷問するはずないと思うけど」
家康「『信長様にすり寄って信用を築き、隙をつくつもりだ』って論法らしいよ」
(二重スパイだと思われてるってこと……?)
三成「あまりに根拠のない話です。美香様が心配なさらないよう、他の方の口からお耳に入る前にお伝えしておこうと思いまして」
「知らせてくれてありがとう」
(拷問の件は事実でも、今回の噂は根も葉もないものだと思ってよさそうだな)
ふたりがきっぱりした態度で否定してくれて、安心した。
家康「光秀さんは顕如の本拠地、石山本願寺を攻めたこともある。あのふたりが組むなんてありえない」
三成「『光秀様であればかつての宿敵さえ懐柔しかねない』との意見もありますが……こじつけがすぎる気がしてなりません。何者かの陰謀でなければいいのですが」
「誰かが故意に、光秀さんの評判を下げようとしてるってこと? なんでそんなこと……」
家康「心配するだけ無駄だよ、美香。悪巧みで光秀さんに勝てる人間なんてそうそういない」
(それはそうかもしれないけど)
「光秀さんは、この噂のこと知ってるのかな……」
三成「ご存知でしょうね。光秀様は早耳ですから」
(もしも私が、光秀さんと同じ状況に置かれたら)
ズキ、と胸がきしみ、次の瞬間には立ち上がっていた。
「……私、光秀さんに会ってくる」
家康・三成「えっ?」
「お願い、光秀さんの御殿の場所を教えてくれる?」
九兵衛「こちらで少々お待ちを、美香様。お館様を呼んでまいります」
「ありがとうございます、九兵衛さん」
通された部屋は、冴え冴えとした香の香りで満ちていた。
(ここで光秀さんは暮らしてるのか……)
清潔で風通しのいい部屋だけれど、栄華を誇る織田軍の左腕である人物の部屋にしては、あまりに簡素だ。
(インテリアに一切興味がないのが伝わってくるなぁ……)
光秀「家主が不在だからといって、あまりじろじろ見るな。照れるだろう?」
「!? 光秀さん……」
振り向くと、戸に寄りかかり腕組みする光秀さんの姿があった。
「勝手にごめんなさい。光秀さんらしい部屋だなと思って、つい……!」
光秀「ほう、お前がそれほど俺に興味津々とは知らなかった。部屋だけじゃ物足りないだろう、本人もまじまじ見て構わないぞ。ほら」
「っ、結構です……!」
(さっそく光秀さんのペースだ……)
光秀「お前から俺を訪ねてくるとは思わなかった」
「……光秀さんに関する噂を聞きました。顕如と手を組んで、信長様を倒そうとしてるって」
光秀「そうらしいな」
まるで他人事のように、光秀さんの笑みは崩れない。
光秀「それでお前は、噂の真偽を確かめに来たのか」
(え……?)
光秀「自分を監視している人間が敵だったら、どんなひどい目に遭うか……心配するのは当然だ。だが、裏切りの疑いのある当人を相手に確かめようとするのは愚行だぞ、美香」
(私が光秀さんを疑ってると思ってる……?)
「違います。私が会いに来たのは……『私は光秀さんを疑ってません』と伝えるためです」
光秀「は……?」
「家康や三成くんも同じです。政宗や信長様……秀吉さんだってきっと。だから、あんな噂なんか気にしないでくださいね」
光秀「お前、まさかとは思うが……俺を、慰めに来たのか?」
「……? そうですけど」
光秀「…………。……っ、くく……ははは!」
(な、なんで!?)
「なんで笑うんですか、人が真剣に心配してるのに……!」
光秀「ほう、心配。この俺を? お前が?」
「そうですよ、何かおかしいですか……? 私なら、あることないこと噂されたら眠れないくらい腹が立つし、悲しいし、だから……っ」
光秀「まったく……見上げたお人好しだな。その噂が事実だと言ったら、お前はどうする?」
(え……っ?)
光秀「いいか、美香。誰もがお前のような清い心を持っていると思ったら、大間違いだぞ」
光秀さんは後ろ手に襖をパン、と閉めたかと思うと、座布団に座る私の方へ一歩踏み込んだ。
(な、何……?)
片膝をつき、私の前にしゃがみ込む。
濃い影が落ち、長い前髪がさらりと私の額をくすぐった。
光秀「世の中、隙あらば人の良心につけ入り、甘い汁を吸おうとする輩の方が多いものだ。現に、今も」
低く掠れた声で囁きながら、薄い唇が私の耳に近づいて–––
(ぁ……っ)