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イケメンシリーズ ストーリーのネタバレです

戦国【光秀】情熱13話前半

–––深夜、義昭の潜む城が、幸村と義元の指揮下で音もなく包囲された。

突入の準備を万端に整え、彼らは近くの茂みで息をひそめ、その時を待っていた。

 

幸村「クソ! 遅せーな、光秀のヤツ……!」

 

義元「幸村、それ、何度目の悪態?」

 

幸村「お前こそ、さっきから鉄扇を開いちゃ閉じ開いちゃ閉じ……気が散るんだよ」

 

義元「お行儀が悪くてごめんね。どうにも落ち着かなくて」

 

幸村「謝んな、バカ。……俺だって同じだ」

 

義元「……美香と佐助は、どうしてるかな」

 

幸村「…………」

 

今夜は空気が、泥のように重く、ぬめっている。

その時–––先の見えない沈黙を、よく響く声が破った。

 

光秀「待たせたな、幸村殿、義元殿」

 

佐助「猿飛佐助、ただ今戻りました」

 

幸村・義元「!?」

 

幸村「佐助、お前、なんで……!?」

 

佐助「話せば長くなるんだけど、俺たちの帰郷は半永久的に中止だ」

 

義元「美香は!?」

 

光秀「人の手に託すのはやめにした。美香の命は、この手で助ける」

 

幸村・義元「…………!」

 

ねっとりとまとわりついていた重苦しい空気が、霧消する。

目に見えない光のようなものが、風に乗って広がり、みなぎっていく。

 

光秀「時が惜しい。ご一同、覚悟はいいな?」

 

幸村「はっ、聞く意味あるかよ? 待ちくたびれたぜ」

 

佐助「俺は、いつでも」

 

義元「今夜ばかりは俺も、一肌脱ぐとしようかな。それにしても、まさかこんな布陣で戦に赴くことがあるなんてね」

 

光秀「俺とて少々不本意だが、仕方あるまい。こはるが繋いだ縁だ」

 

義元「ああ、そうだね」

 

光秀「–––九兵衛」

 

九兵衛「はっ」

 

九兵衛が、陣太鼓を打ち鳴らす。

 

潜んでいた兵たちが、一斉に立ち上がった。

 

光秀「–––いざ、出陣」

 

その戦は、一発の銃弾によって幕を開けた。

 

–––パンッ

 

敵の見張り1「!!」

敵の見張り2「おい、今の音は……、ひ……っ!!」

 

眉間を撃ち抜かれた同胞を見て、見張りの兵は目をむいた。

血しぶきを上げ、同胞が見張り台から真っ逆さまに転がり落ちる。

 

敵の見張り2「て、敵襲! 敵襲……! て……っ、!?」

 

–––パンッ

ドサ–––ッ

 

すぐに、見張り台は無人になった。

悲鳴と鐘の音が響き出したのを確かめ、光秀は白煙を上げる銃を下ろした。

 

幸村「恐ろしいヤツ……」

 

光秀「それほどでも」

 

義元「–––さあ、門を破れ」

 

今川家の家臣「おう!」

 

今川家の家臣たちが丸太を抱え、城門を突破し、なだれ込む。

 

義元「ご苦労さま」

 

幸村「よし、ここからが本番だ」

 

佐助「光秀さん、道は俺たちが開きます。あなたは、迷わず奥へ」

 

光秀「心得た。では、正々堂々、将軍にご拝謁願おうか」

 

義昭の使者「義昭様! 光秀めが……!」

 

義昭「うろたえるでない、愚か者が! 敵は少数、返り討ちするまでよ」

 

義昭の使者「しかし予想以上の猛攻にて……っ、今に、この本丸も攻め込まれます!」

 

義昭「–––たわけが」

 

義昭の使者「うぐ……っ」

 

義昭の投げた盃が使者の顔に当たり、こぼれた酒が上等の着物を無惨に濡らす。

 

義昭「こちらには、とっておきの切り札があろう。……化け狐、そなたの地獄はここからだぞ」

 

一行が城内に踏み込むと、武装した兵たちが大勢立ち塞がった。

 

敵兵「ここは決して通さん! 死んでも守り抜く!」

 

幸村「ってことは、この先に将軍がいるってことだな?」

 

十文字槍を軽々振るい、幸村が敵の一団に突進する。

 

敵兵「うお……!?」

 

敵兵は次々と蹴散らされ、地面に沈んでいく。

 

幸村「あっさりおねんねしてんじゃねえよ、てめえら。半端な覚悟で『死んでも守る』なんて抜かすな」

 

敵兵「ま、まだまだ……!」

 

奥に待機していた一軍が、どっと押し寄せる。

 

幸村「佐助!」

 

佐助「了解!」

 

的に向かって突き出された槍の穂先に、佐助はひょいっと飛び乗り、さらに跳躍し、敵陣の真っただ中に降り立った。

 

敵兵たち「!?」

 

佐助「お邪魔します、それから、おやすみなさい」

敵兵「うわ……!」

 

クナイを手にした佐助が、素早くその場で回転した直後、周囲の敵兵が、輪になって一斉に倒れた。

 

敵兵「おい、何も見えなかったぞ……!? まさか魔術か……!?」

 

佐助「いいえ、ただの忍術です」

 

動揺して後ずさりした兵たちを、容赦なく幸村の槍が襲い、なぎ払う。

 

敵兵たち「ぐ……は……っ」

 

光秀「お見事」

 

幸村「行け、光秀、義元!」

 

義元「ありがとう」

 

斬り拓かれた道を、光秀と義元が奥へと駆け抜けていく。

 

敵兵「待て、貴様ら……っ」

 

追いかけようとする敵兵たちの前に、今度は幸村と佐助が立ち塞がった。

 

佐助「待つのはそちらです」

 

敵兵たち「くそ……っ」

 

幸村「ここは俺たちが決して通さない。必ず生きて、守り抜く。来い、遊んでやるよ」

…………


義元「……!」

 

光秀「おやおや、久方ぶりだな」

 

光秀と義元の足が、ぴたりと止まった。

奥の間の前に、見知った男が仁王立ちになっている。

義昭の使者として彼らの前に現れた時の余裕は微塵もなく、怒りに顔を歪めている。

 

義昭の使者「裏切り者め! よくも義昭様を……!」

 

光秀「悪いが貴殿に用はない。話があるのは、義昭様ただひとり」

 

義昭の使者「行かせるか!」

 

大太刀を抜き放ち、男が飛んだ。

–––ガキンッ

 

飛び出した義元が、鞘に収めたままの刀で、大太刀をガッチリと封じる。

 

義元「行って、光秀殿。本能寺での借りを、今、返す」

 

光秀「ならば、遠慮なく」

 

義元は優雅に微笑み、顎を持ち上げ『どうぞ』と促す。

ふっと笑い返し、光秀は奥の間を目指し、膠着するふたりの横を走り抜けた。

 

義昭の使者「光秀……!」

 

義元「よそ見はいけないよ」

 

義昭の使者「!!」

 

大太刀を一気に押し返され、男は床に倒れ込む寸前で踏みこたえた。

 

義昭の使者「義元……! どいつもこいつも、裏切りおって……!」

 

義元「よくよく考えると、裏切りなんてこの世に存在しないと思わない? 誰もが自分の信念に従って生きている。ただ、それだけだよ」

 

義元が、舞うような仕草で刀を抜いた。

美しい構えに、隙はない。

 

義元「さあ、刀を交えようか。お互い、かけがえのない大事なもののために」

 

義昭の使者「っ……うああああ……!」

 

義昭「……来たか」

 

広間に足を踏み入れた光秀を、義昭は脇息にもたれて出迎えた。

他に誰もおらず、襖を閉めると戦の喧騒が遠のいた。

 

光秀「しばらくぶりです。ご機嫌いかがでしょうか、義昭様」

 

義昭「そう悪くもない」

 

光秀「それは何より」

 

光秀は刀を抜き放つと、切っ先を将軍の脳天に向けた。

光秀「あなたには死んでいただく。だが、その前に尋ねたいことがある」

 

義昭「あの女を冒している毒の、毒消しの在り処だろう?」

 

くくく、と、義昭は喉を鳴らして笑う。

 

義昭「憐れよのう。いかに虚勢を張り刀で脅そうが、そなたは私にかしずくほかない。私を害せば毒消しは手に入らず、あの女は、確実に死ぬぞ」

 

光秀「…………っ」

 

義昭「毒消しはここにはない。信の置ける者に預け、隠しておる」

 

光秀「なんだと……?」

 

義昭「あの女の命が惜しいか、光秀」

 

光秀「……っ、ああ、惜しい。惜しいに決まっている!」

 

怒りに任せて叫ぶ光秀を見て、義昭は満足げに目を細めた。

 

義昭「ははは! ようやく化けの皮がはがれたな! 女ひとりで右往左往するとは、愚の骨頂。光秀、そなた……その程度の男だったか」

 

光秀「何とでも言うがいい……! あの女のためなら、俺は、命すら惜しくない!」

 

義昭「ならば刀を捨て、這いつくばり、私の足を舐め許しを請え! そして、これで己の腹を掻っ捌け」

 

光秀「…………!」

 

義昭が差し出したのは、豪奢な装飾の施された小刀だった。

むき出しの刃が、ぬらりと光る。

 

義昭「私の前で、見事絶命してみせるなら、あの女の元に、毒消しを届けさせてやろう」

 

光秀「そんな口約束を、信じられるわけが……!」

 

義昭「そなたに選択肢などないぞ、光秀!」

 

光秀「……っ」

 

義昭「どうした、早うせい!」

 

光秀の手から、柄が離れる。

 

空虚な音を立て、刀が畳に転がった。

 

光秀「……っ、もはや、これまでか」

 

義昭の元に歩み寄ると、光秀は膝をついた。

 

義昭「くくく……っ、ははは……!」

 

光秀が頭を垂れ、震えながら両腕を差し出す。

 

義昭「地獄で、存分に悔いるが良い」

 

放り捨てるように、義昭が光秀の手に小刀を載せた、その時。

 

義昭「……っ?」

 

義昭の手の甲に、赤い傷が一筋走った。

 

義昭「何をする……!」

 

義昭は飛び退り、傷つけられた手を庇った。

ゆらり、と立ち上がった光秀の顔に、先ほどの焦りは見当たらない。

 

光秀「……やはり、気が変わった」

 

義昭「何だと!? 一度ならず二度までも、この私に傷を……! 不敬な! 許せん! すぐに私の手の者がそなたを殺しに参る! あの女も、決して助からんぞ!」

 

光秀「ああ、そうだな。じき、俺とこはるは共に死ぬ。だが、あなたに一矢報いることができる」

 

義昭「何……?」

 

小刀を放り、光秀は義昭へとゆったり歩み寄る。

警戒心をむき出しにし、義昭は壁際へとじりじり下がる。

ドン、と壁に退路を阻まれた義昭に、光秀は手のひらを差し出した。

 

光秀「義昭様。これに見覚えは?」

 

手の上に載った小さな矢じりを見て、義昭は眉をひそめた。

 

義昭「そのような代物、私自ら用いるわけが……。!!」

 

瞬間、義昭の顔が、能面のように白くなった。

 

義昭「まさか、これは、毒矢の……っ」

 

光秀「ご明察。この矢じりが、義昭様の命で、あの娘を襲い……、そして今、あなたの手の甲を掠めた」

 

義昭「な……っ、な……!」

 

光秀「あの娘は、毒に冒されうなされながら……うわ言でこう言っていた。俺に……いつまでも一緒にいてほしい、と。俺はその願いを叶えることにした。だが、あなたに一矢報いずに逝くのは、あまりに無念。共に地獄へ参ろう、義昭様」

 

義昭「……っ、たばかったな、光秀……!」

ドン……!

 

光秀「おっと」

 

義昭は光秀の胸を押し返し、部屋の隅へと走った。

 

義昭「この私を二度も騙しおって……! 死んでたまるか……!」

 

義昭の手が、わなわなと震えながら懐に伸びる。

取り出した巾着から丸薬を三粒つまみだすと、口に含み、一気に飲み下した。

 

義昭「……っ、はぁ……、はぁ……」

 

荒い呼吸をする義昭の前に、いつの間にか光秀が立っていた。

 

光秀「やはり、ご自身でお持ちだったか」

 

義昭「……!」

 

影が落ち、義昭の手から丸薬の入った巾着が取り上げられる。

 

義昭「ち、違う! これは……っ」

 

光秀「何、もう嘘をつく必要はない。はじめから、あなたが毒消しを持っていることはわかっていた」

 

義昭「なん、だと……!?」

 

光秀「それは俺と交渉するための唯一の切り札。人に託すわけもない。あなたに『信の置ける者』などひとりもいないことは、よく存じ上げている」

 

義昭「おのれ……、かは……っ!」

 

義昭「……!? 胸が、苦し……」

 

義昭は喉元を押さえ、血走った目を見開いた。

 

光秀「そうそう、先ほどの矢じりだが……、実は、あなたの手先が使ったものとは別物なのだ。ハナから毒など塗ってはいない」

 

義昭「な……!」

 

光秀「あれほどの劇薬を解毒する薬だ。平常時に飲めば、それもまた劇薬になるに違いない」

 

義昭「ひ……っ! ぐは……」

 

燃えるような痛みが臓腑から突き上げ、義昭が膝をつく。

 

光秀「思ったとおりだったな」

 

義昭「そ、なた……もとより、これが狙いか……! 三度も、私を騙しおって……!」

 

光秀「落胆なさるな、騙されても無理もない。何せ俺は、人を騙す達人なんでな」 

 

義元「……光秀殿、こちらも終わったよ」

 

現れた義元は、手傷を負わせ縛り上げた義昭の使者を、義昭の前へと引き倒した。

 

義昭の使者「義昭様……っ! 申し訳ございません……! 死んでお詫びを……」

 

義昭「役立たずめが……! ああ、死ね! 今すぐ死ね!」

 

義昭の使者「……!」

 

恨みに満ちた義昭の眼光に射抜かれ、彼の顔が強張っていく。

 

義昭「私を差し置き、生き残るなど……っ、許さん……ぞ……! 虫けらが……!」

 

義元「……わかった? これが、君が命懸けで守ってきたものの本性だよ」

 

義昭の使者「…………っ」

 

顔を歪め、義昭の使者はその場にくずおれた。

 

光秀「適量は丸薬三粒だな。たしかに、毒消しは受け取った」

 

義昭「みつ、ひで……! 呪って、やる……!」

 

光秀「構わないぞ。慣れている」

 

光秀は、結局使うことのなかった刀を拾い上げ、悠々と鞘に収めた。

 

光秀「ではごきげんよう、義昭様。地獄へは、お一人で参られよ」

 

義昭「…………!!」

 

ドッ、と音を立てて、義昭の身体が横倒しになる。

視界が闇に覆われる間際、将軍が最期に見たものは–––

鮮やかにひらめく白い衣と、化け狐の笑みだった。

…………

……


(ん……、なんだか、眩しい……)

 

曖昧な意識の中で、まず始めにそう感じた。

額に、ひんやりとした冷たい何かが触れている。

 

(私……この感触を、よく知ってる……)

 

すっとまぶたが持ち上がって、陽の光に目がくらんだ。

清浄な空気と、かぎ慣れた香の香りに包まれる。

そして–––どこまでも甘い声が、耳をくすぐった。

 

光秀「おはよう、美香」

 

(……! 光秀さん……)

 

私の手は軽やかに動いて、光秀さんの頬に届いた。

 

光秀「今、戻った」

 

「……お帰りなさい」

 

朝の光の中で、微笑み合う。

瞬きもせず、愛する人の笑顔を見つめながら、私は全てを悟った。

何もかもが終わり–––新しい明日が始まったのだと。

 

戦いから数日後–––

 

義元「見送りに来てくれてありがとう。美香がすっかり元気になって安心したよ」

 

「こちらこそ、本当にお世話になりました」

 

優しい言葉に、私は深々と頭を下げた。

みんなが義昭様を倒し、持ち帰ってくれた解毒剤のお陰で、私は生き延びることが出来た。

毒が抜けるまでに数日かかったけれど、ようやく元気になった。

 

今日、義元さんと今川家家臣のみなさんは、幸村と佐助くんと一緒に、越後へと旅立つ。

義元さんは悩んだ末に、謙信様と信玄様にもう一度会ってお詫びをすることに決めたのだという。

 

(私が全快するまで、出発するのを待ってくれた……。みんな、優しい人ばっかりだ)

 

「ごめんなさい。光秀さんも見送りに誘ったんだけど、色々と用事があるらしくて」

 

幸村「つーか、来なくて当然だろ。将軍ブッ倒して取り引きが完了した今、俺たちは敵同士に戻ったんだ」

 

(敵同士、か……)

 

「それでも私はずっと、みんなを友だちだと思ってる」

 

佐助「『思ってる』じゃなく、純然たる事実だ、美香さん」

 

佐助くんの迷いのない声が、寂しさを拭ってくれた。

 

「みんな、どうか気をつけてね」

 

幸村「病み上がりのくせに生意気なんだよ。俺らのことはいーから自分の心配してろ、バカ」

 

「っ、バカとまで言わなくても……」

 

佐助「気を悪くしないで、美香さん。幸村の『バカ』は、好意を示す挨拶の一種なんだ」

 

幸村「余計なこと言ってんじゃねー、バカ!」

 

佐助「と、このように用いられる」

 

「なるほど!」

 

義元「じゃあ『バカ元』呼ばわりされた俺も、幸村に愛されてるってことか」

 

佐助「まず間違いありません」

 

幸村「お前らな……!」

 

(ふふ、やっぱり義元さんは、幸村や佐助くんに大事に思われてる。越後にも、義元さんの帰りを待ってる人がたくさんいるんだろうな)

 

義元「……さてと。そろそろ行かないとね」

 

幸村「あ、生きてりゃどっかでまた会うだろ。またな、こはる」

 

佐助「美香さん、そのうちまた安土に忍びにいく。越後土産を楽しみにしてて」

 

「ありがとう!」

 

清々しい笑みを見せ幸村が馬に飛び乗り、颯爽と駆け出していく。

佐助くんもあとに続き、振り返って何度も手を振ってくれた。

 

義元「速いなあ、ふたりとも。置いていかれないようにしないと。でもその前に……、美香、気づいていると思うけど、俺は君のことが好きだよ」

 

「え……」

 

「空が晴れているよ」と教えるような軽やかな口ぶりに、思わず目を見開いた。

 

(っ……ちゃんと、お答えしないといけない)

 

「あの! ごめんなさ……」

 

と、言い終わる前に、義元さんが人差し指をそっと差し出す。

 

(……っ)

 

唇と指先、ほんの1ミリの距離の間で、空気が揺れる。

 

義元「続きは言わせてあげない。ただ、覚えておいてくれればいい。君は俺と同じで、故郷に二度と帰れないかもしれないけど……、君のことが大好きで、君の幸せを願っている人間が、この世にたくさんいるってことを」

 

「……はい! 私も、義元さんやみんなの幸せを、心から願っています」

 

花が咲き誇るような微笑を浮かべ、義元さんは馬にひらりと飛び乗った。

三人の背中が、あっという間に遠ざかる。 

 

(みんなと出会えてよかった。この時代で、私の世界はきっと、もっともっと広がっていく)

 

旅立つ人たちの姿が見えなくなるまで大きく手を振り、私は胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

…………


佐助「ん? あれは……」

 

美香と別れ三人が京の外れまでやってきた時、柳の木に寄り掛かる人影が見えた。

 

義元「光秀殿……?」

 

馬を走らせ近づいてくる三人を見据え、光秀は–––

 

黙したまま、深々と一礼した。

 

幸村「ったく、格好つけやがって」

 

速度を緩めず、光秀の前を駆け抜けながら–––幸村は軽く手を上げ、佐助は目を伏せて礼をし、義元は、笑顔で肩をすくめてみせた。

三人が駆け去ると、光秀はもう彼らには目をくれず、反対の方角へと歩き出した。

美香が結んだ縁は、こうして解けた。

再び結ばれることがあるかは、この世の誰にもわからない。

…………

 

(光秀さん、まだ帰ってこない……)

 

『先に休んでいろ』と言われていたけれど、布団に横になっても寝付けない。

 

(静かだな。昨日まではたくさんの人と一緒だったから余計に)

 

義元さんたちは越後に帰って行き、九兵衛さんも安土に事の次第を報告するため先に出発した。

 

(今夜は、光秀さんとふたりきりか……)

 

意識した途端、ドキッと音を立て、心臓が鳴り出した。

 

(っ……本人不在なのにこんなにドキドキしてる。光秀さんが帰ってきたらどうなっちゃうんだろう)

 

その時、襖が開く音がして、私は思わず跳ね起きた。

 

「光秀さん……っ?」

 

光秀「美香? まだ起きていたのか」

 

「なんとなく眠れなくて……。お帰りなさい」

 

光秀「ただいま」

 

手早く寝支度を済ませると、光秀さんはするりと同じ布団に入ってきた。

 

(……っ、緊張する……)

ふたりの間には、ほんの少しだけ距離がある。

 

光秀「では、おやすみ、美香」

 

「えっ、あ……おやすみ、なさい……」

 

そう言い合うけれど、部屋の明かりは灯されたままだ。

 

(光秀さん……このまま、寝ちゃうのかな) 

横目でうかがうと……

 

光秀「ん……?」

 

(わ……っ)

 

バチっと目が合い、そのまま視線を捕まえられる。

 

光秀「どうした?」

 

「いえ、別に、何も……」

 

光秀「ほう、そうか」

 

くす、と笑い、光秀さんが身体を私の方へと傾け頬杖をつく。

 

(じっと、こっちを見てる……)

 

目線で肌を撫でられているみたいで、鼓動がますます騒ぐ。

 

(……今夜はこのまま、眠りたくない)

 

「っ、光秀さん……」

勇気を出して、光秀さんの襟元をぎゅっと掴んだ。

 

光秀「なんだ、美香」

 

わずかに身体を私の方へ寄せてくれるものの、光秀さんの温もりはまだ遠い。

 

「あの……っ、もう、眠いですか?」

 

光秀「いや? たいして眠くはないな」

 

「お仕事で、疲れてますか……?」

 

光秀「さほど疲れてもいないな」

 

「ええっと、それじゃ……っ」

 

光秀「『それじゃ』、何だ?」

 

尋ねられて、ようやく気づく。 

 

(わざとだ、これ……!)

 

思わず唇を噛むと、長いまつ毛を伏せ光秀さんがにやりと笑う。

 

光秀「言ってごらん。俺にどうして欲しいんだ?」

 

(そんなの、言えない……)

 

答える代わりに、光秀さんに身体を寄せ、胸板に顔を埋める。

 

光秀「駄目だ、ちゃんと声に出せ。お前の言葉で聞きたい」

 

髪をやんわり撫で上げられ、上を向かされる。

(あ……っ)

 

誘うような眼差しが、恥ずかしさに悶える私の瞳を真っすぐに見据えた。

耳の先が、燃えるように熱くなる。

 

(今夜は……今までで一番、意地悪だ。でも……)

 

この人の意地悪に、私が抗えるわけがないのだ。

 

「……触れて、ください」

 

光秀「わかった。だが……病み上がりのお前に無理をさせるわけにはいかない」

 

(え……?)

 

光秀「今夜は、お前を抱き潰す代わりに……お前の可愛い泣き顔を独り占めさせてもらう」

 

光秀さんは私を抱き寄せ、身体じゅうに触れていく。

「あ……っ」

 

あまりの心地よさに呼吸が乱れ、恥ずかしくて堪らない。

 

(顔、見られない……)

 

光秀「駄目だ、見せろ」

 

あっさりと見抜かれ、顎を持ち上げられる。

 

光秀「……可愛い」

 

光秀さんの表情には、激しい渇望と、それを抑え込んでいる苦しさ、切なさが、入り混じっている。

言葉だけじゃなく、声でも身体でも瞳でも、あらわに想いを伝えてくれる。

 

(嬉しい……)

 

心の奥底から色んな感情が噴き上がって胸に溢れ、全身を満たす。

この気持ちをあますことなく伝えたいのに、うまく言葉にできなくて……

 

「光秀さん、あの……大好きです」

 

(っ、結局、いつもと同じことしか言えない……)

 

光秀「知っている。だが……何度聞いても、飽きないものだな」

 

しみじみとした呟きとともに、頭をそっとひと撫でされる。

 

(私の気持ち、ちゃんと伝わってるって、教えてくれてるみたいだ……)

 

微笑み合って、ゆっくりと唇を重ねた。

どちらからともなく、舌先を優しく触れ合わせる。

 

(なんて、幸せなんだろう。なんて、愛されてるんだろう)

 

今夜、身をもって思い知った。

元の時代に帰ることなんて、とっくの昔に無理だったのだ。

私は、もう–––

 

この人なしには、生きられない。