戦国【光秀】共通5話前半
光秀「–––話せ、美香。これ以上のことを俺がお前にする前に」
(……っ、どうして……?)
名前の知らない激しい感情がお腹の底から突き上げて、心臓を押し潰す。
初めて私は自分から手を伸ばして、光秀さんに触れた。
光秀「っ……?」
手のひらで包み込んだ頬が、熱い。
(あなたを信じたがっていた私を打ちのめして、生きるか死ぬかのところまで追い込んで……。なのに、どうして)
「どうして今になって……っ、本気で苦しがってるみたいな顔、見せるんですか……?」
光秀「…………っ」
(光秀さん、もしかして、困ってる……? でも、どうして? この人の考えてることが、本当にわからない)
光秀さんが言葉を失うところを、初めて見た。
(……もういい。私の負けだ。負けでいい)
「腕を解いてください。何もかも話しますから」
光秀「何……?」
「なんで驚くんですか。あなたが脅すから、私は仕方なく話すんですよ」
光秀「……そう、だな」
わずかに乱れた私の襟をそっと正し、光秀さんは腕を解いた。
(光秀さんの言う通り、私は馬鹿のつくお人好しなのかもな……)
意外な事実に気づいてしまった。
淫らで残酷な脅しの何倍も、この人に苦しげな表情を見せつけられる方が、私にはずっと堪える。
「……全部お話しますけど、内容がどんなに突飛でも、ちゃんと信じてくださいね」
覚悟を決めて見据えると、光秀さんは呆れたように肩をすくめてみせた。
光秀「急に素直になったな。お前の反応は時々、俺の予想を軽々と超える」
「本当ですか……? それは、ちょっと嬉しいです」
光秀「この状況で喜べるとは……つくづく能天気な小娘だ」
肩をすくめる光秀さんは、いつもの調子に戻っていた。
つまり、掴みどころがなくて余裕たっぷりで、私へかける声が少し、甘い。
(私の直感は、間違ってなかった)
いまだ命の危機にあることには違いない。光秀さんが裏切り者である可能性は限りなく高い。でも……
ほんの少しだけ、彼の本音を垣間見ることができた。
光秀「お前が秘密を明かす気になったのなら、茶でも点てるか」
「え……?」
光秀「長い夜になりそうだからな」
…………
話を終えたのは、光秀さんの点ててくれた三杯目のお茶を飲み終えた頃だった。
(一時間近く話しっぱなしだったな。お茶、美味しくて飲みすぎちゃった……)
夢中で語るうちに、置かれた状況への恐怖はだんだんと麻痺し、集中力が尽きた今は、心地よい眠気が押し寄せてきていた。
光秀「奇想天外な話だな……。この『ばっぐ』とやらがなければ、信じることができなかっただろう」
「信じてもらわないと困ります……。話せと迫ったのは光秀さんでしょう」
光秀「安心しろ。疑っているわけじゃない。馬鹿正直で可愛いおつむの持ち主のお前が、これほど壮大なホラを吹けるとは思えないならな」
「そうですね……」
光秀「おや、反論しないのか?」
「今日はもう、疲れました。あなたに追いかけられて、脅されて、怖くてたまらなくて……あまりに疲れたので、いっそ、どうにでもなれという心境です」
光秀「そう投げやりになるな」
「あなたがそれを言いますか……」
(あ……なんだかこれ、いつもの感じだ)
何ひとつ解決していないのに、安堵が私を包み込む。
(光秀さんは、織田軍を裏切ろうとしてる悪党かもしれないのに–––)
ふたりの間に流れる夜の空気は、けだるく穏やかで、ぬるま湯に浸かっているみたいだ。
否応なしに気が抜けていき、今にも睡魔に負けそうだ。
(やっぱり相当、疲れてる……。この人から逃げる気力ももう起きない。きっと、長い一日だったから……)
「……そろそろ、眠いです」
光秀「らしいな。……おいで」
(え……)
当然のごとく抱き寄せられ、視界が揺らいだ。
固い膝を枕に、コロンと畳に転がされる。
「ええっと……光秀さん……?」
光秀「寝床を用意している間に、お前のまぶたがくっつきそうだ。……このまま眠れ」
「でも……色々、おかしくないですか……?」
光秀「何もおかしくはないだろう。変なことを言う奴だ」
しれっと囁き、光秀さんが私の額に手のひらをあてがう。
まどろみの中、髪を梳かれ、意識が曖昧になっていく。
(いつもみたいに、丸め込まれてる……。でも私はそれが……嫌いじゃない。冷たい手……。気持ちいい……)
光秀「お前は俺の秘密を手に入れた。俺もお前の秘密を手に入れた……。今夜以降は、もっと厳重にお前を監視するつもりだ」
「監視……」
光秀「誰にも俺の秘密をしゃべるな。常に俺の目の届くところにいろ。そうすれば……お前が元の世へ帰る日、無事に送り出してやる」
「あなたの言葉は、もう……なんにも信じられません……」
光秀「俺の言葉が嘘でも真でも、お前には信じる以外、選択肢がない」
「……ほんと、意地悪ですね」
光秀「ああ、そうだ」
(光秀さん、笑ってる……。でも……なんだか、とっても……寂しそう)
睡魔に負けないように、掠れ声で言葉を紡ぐ。
「ねえ、光秀さん……」
光秀「ん……?」
「お茶……美味しかったですよ。光秀さんのくせに」
光秀「……ふっ、それは光栄だ」
「味音痴なのに……すごいですね」
光秀「味がわからなくても、手順さえわかっていれば何とでもなる」
「……私は、褒めたんです、あなたのこと」
光秀「知っている。さあ、おしゃべりはもう終わりだ」
「でも……」
光秀「しー……。おやすみ、美香」
ひんやりした手が、私の重たくなったまぶたをそっと閉ざす。
(眠りたくない……)
光秀さんひとりを、夜の中に置き去りにしたくない。
脅迫された相手にそんなことを思うなんて、どうかしている。
脅迫する相手をいたわり甘やかすこの人も、どうかしている。
(おかしいのは、私? 光秀さん? それとも……)
もしかするとこの世界自体が、どうかしているのかもしれない。
…………
蘭丸「ねえ、美香様! これって一体どういうことなの?」
「ええっと……」
光秀「気にするな、蘭丸」
蘭丸「無理。俺だけじゃなくて城のみんなが気にしてるよ」
城内で行きあった蘭丸くんは、私と、すぐそばに寄り添う光秀さんをじーっと見据えた。
蘭丸「美香様から離れなよ、光秀様。ここ数日、べったりじゃん!」
(私も、こんなことになるとは思ってなかったんだけど……)
光秀さんの裏切り現場を目撃し、恐怖と安堵が入り交じる奇妙な一夜を過ごして以降、指南に加え、光秀さんの仕事を手伝うという名目で、四六時中一緒に行動するよう命じられた。
実際は、書簡の整理を少し任せてもらうくらいで、大して役には立っていない。
(『もっと厳重に監視する』って言ってたけど、ここまでとは……)
蘭丸「光秀様、独り占めはよくないよ? 美香様、俺のことも構って♪ ねっ?」
「ええっと、私もそうしたいんだけど……」
光秀「美香と過ごすと、もれなく俺もついてくるぞ」
蘭丸「光秀様は遠慮しとく。美香様、行こ!」
私の袖を引っ張る蘭丸くんの手を、光秀さんが手刀で払った。
蘭丸「いったーい! 骨折れたー!」
光秀「どれ、見せてみろ。ちゃんと折れているか確かめておこう」
蘭丸「何それ怖っ!」
蘭丸くんはぴゅっとそばから飛びのき、頬をふくらませる。
蘭丸「美香様、こんな人のお手伝いなんてやめときなよ。ロクなことないよ絶対!」
「うん、私もそう思うんだけど……」
(ひゃっ……!?)
つー、と背中を指先でなぞられ、変な声が出そうになった。
光秀「『そう思うんだけど』?」
「……何でもないです」
蘭丸「やーな感じー。なーんか裏がありそうっていうかー」
光秀「口が過ぎるぞ、蘭丸」
蘭丸「これでも加減してるんだけど」
(ん……?)
不意に、蘭丸くんの目が鋭く光った気がした。
光秀「–––美香、次は政宗の御殿で会合だ。すぐ追いつくから先に行け」
「え、でも……」
光秀「行け」
「は、はい」
迫力に押し負け、ふたりを残して歩き出す。
(蘭丸くん、大丈夫かな……)
美香が去ったのを見届けると、蘭丸は一段低い声で呟いた。
蘭丸「……どういうつもりか知らないけどさあ、美香様を傷つけたら許さないよ? あの子は俺の命の恩人なんだ」
光秀「残念ながら、手遅れだ」
蘭丸「な……っ」
光秀「……冗談だ。あの娘の無事を祈るなら、余計な口出しをしないことだ」
蘭丸「なあにそれ。脅迫?」
光秀「忠告だ。お前だって“痛くもない”腹を探られたくないだろう?」
蘭丸「……あなたにだけは言われたくない台詞だね」
そう吐き捨てると、蘭丸は光秀に背を向けた。
…………
政宗「ところで、噂になってるらしいぞ、お前ら」
仕事の話が済んだあと、政宗が手作りのおはぎで私たちをもてなしながら、そんなことを言い出した。
「噂って?」
政宗「あの光秀が、ついに陥落したってな」
「陥落って、まさか……っ」
政宗「『明智光秀が美香にベタ惚れして片時も離したがらない』と、城下でも大騒ぎらしい」
(尾ひれがひどい……!)
光秀「ほうほう、それは初耳だ」
(この顔、絶対、嘘だ……)
「政宗、誤報だから! 光秀さんは急いで訂正して回ってください! 城下には光秀さんのファン……じゃなくて、光秀さんを慕ってる人がたくさんいるんです!」
光秀「つれないことを言う。共に過ごした一夜をなかったことにする気か?」
「え……っ。っ、一緒に過ごしたからって、別に何もなかったでしょう……!」
光秀「白を切るとはひどい女だ。だが、そういう思わせぶりなところも、そそられる」
(こ、この人は……っ!)
政宗「へえ、噂は事実無根ってわけでもなさそうだな」
火照った私の顔を覗き込み、政宗は短く口笛を吹いた。
政宗「光秀が美香をかっさらっていくとはな。まあ、横から奪うのも面白い」
政宗がニヤリと笑い、私の髪に触れようと手を伸ばした時、
(わ……っ)
間髪入れずに、光秀さんに肩を抱き寄せられた。
光秀「手出し無用で頼むぞ、政宗。美香を巡って独眼竜と斬り合うのは御免だからな」
政宗「そうか? 俺はお前との手合わせならいつでも歓迎するけどな。にしても……」
堪えきれないように、政宗が笑い出す。
政宗「光秀を焦らせるとは、美香、お前なかなかの大物だな」
「違うよ、政宗! これは……」
光秀「その通り。俺はこの娘に、すっかり参っているらしい」
くす、と笑う口元に、色香がにじむ。
ドキリと心臓が鳴って、抗議の言葉の続きが吹き飛んだ。
…………
「どうして根も歯もない噂だって、ちゃんと否定しないんですか……!」
光秀「そう怒るな。これでも食べて機嫌を直せ」
(あ……っ)
おもむろに口に差し入れられたお団子のほのかな甘さに、気勢を削がれる。
政宗の御殿を出たあと、怒り狂う私を光秀さんはいつもの茶屋へと引っ張り込んだのだった。
光秀「噂が広まるのは好都合だ。これで、俺がお前をそばに置くことに疑問を抱く者がいなくなる」
(それで政宗にあんな嘘を……?)
人の心をもてあそびながら、この人はいたって冷静に策略を巡らせていたのだ。
裏切りを知る私を手元に置いて、コントロールできるように。
「っ……光秀さんなんて、嫌いです」
光秀「それは残念。俺はお前が、愛おしいがな」
(え……っ)
光秀さんは頬杖をついて、私を見つめ笑っている。
今までで一番、タチの悪い嘘だ。
「本当に、大っ嫌い……!」
光秀「本当に、お前は可愛いな」
「嘘ばっかり言って……っ。もういいです!」
噛み合わない会話から逃げ出すために、私は背を向けて一心にお団子を食べた。
光秀「むくれて団子を食う様子も、なかなかに可愛いぞ。どれ、ぷっくりふくらんだ頬袋をつついてみよう」
「っ、やめてください……!」
くくく…と鈴を転がすような笑みが、耳をくすぐる。
(こんなふうにからかって触れるのも、嘘の噂を補強するためなのかな……)
悔しくて腹が立って仕方がない。
なのに嫌いになりきれないのは、この甘い声と眼差しのせいだ。
九兵衛「光秀殿、こちらにいらっしゃいましたか!」
(九兵衛さん……?)
店に飛び込んできた九兵衛さんの表情に、緊張が浮かんでいる。
光秀「どうした」
九兵衛「信長様と秀吉様より、緊急のお呼び出しです」
光秀「用向きは」
九兵衛「それが……」
言いよどみ、九兵衛さんはなぜかチラッと私を見た。
光秀「構わない、言え」
九兵衛「『美香様との噂の件』とのことです。他にもひとつ話しておきたいことがある、とも」
(めちゃくちゃな噂が、あのふたりの耳にまで……!)
光秀「九兵衛、ご苦労だったな。では行くか、美香」
「私も、ですか……!?」
光秀「当然だろう? 俺とお前のことを報告するんだからな」
「その言い方は語弊が……!」
光秀「そう慌てるな。ふたりに祝福してもらえるよう、俺がきちんと話をつけるから」
(『きちんと』って何……!?)
困惑する九兵衛さんを尻目に、光秀さんは人の悪い笑みを浮かべ、片目をつむってみせる。
お団子が喉に詰まって、思い切りむせた。
…………
秀吉「…………」
(気まずい……。帰りたい……)
光秀「お待たせいたしました、信長様。秀吉、笑顔のひとつでも見せたらどうだ?」
秀吉「黙れ、うるさい、にやつくな」
(秀吉さん、普段の優しさと笑顔が消え失せてる……)
秀吉「美香とお前が恋仲だという与太話が、俺と信長様の耳に入ったわけだが、今すぐどういうことか説明しろ。万が一にも、美香にひどい真似をしたようなら……この場で足腰立たなくしてやる」
光秀「ずいぶんと物騒だな」
信長「光秀。俺が見出した女に、貴様は手をつけたのか?」
信長様はどこか愉快そうに、秀吉さんは飛びかかりそうな顔で、光秀さんを見据えている。
(胃が痛い……っ。なんでこんなことに……!)
光秀「実は……」