戦国【光秀】共通5話前半 彼目線
「–––話せ、美香。これ以上のことを俺がお前にする前に」
美香の襟首を掴みながら、光秀は出来うる限り声を低めた。
(後生だから、言うことを聞け)
使者との密会を見られたのは不覚だった。
裏切りが発覚したことで美香が自分から離れていくだけなら、さして構わない。けれど–––
(あの使者に美香の顔を見られた。このまま放っておけばあの男はこはるを消そうとするだろう。どんな手を使っても)
指先がわずかに、こはるの柔肌に触れている。
(これ以上、触れたくはない。だが……脅し傷つけることでしか、この先お前を守れない)
その時、不意に美香の柔らかな手のひらが、光秀の頬を包んだ。
(美香……?)
美香「どうして今になって……っ、本気で苦しがってるみたいな顔、見せるんですか……?」
「…………っ」
(俺は今、そんな顔をしているのか……?)
美香の小さな手に肉も骨も貫かれ、心ノ臓を鷲掴みにされた気がした。
はぐらかさなければならないのに、誤魔化しの言葉が浮かばない。かつてないことに。
美香「腕を解いてください。何もかも話しますから」
「何……?」
潮が引くように、美香の顔から怯えと怒りが消えていく。
(一体……どうした? お前は……今、何を考えている?)
美香「なんで驚くんですか。あなたが脅すから、私は仕方なく話すんですよ」
「……そう、だな」
乱れた襟を正し、光秀は手を離した。
吸い寄せられるように美香の瞳に見入る。
覚悟を決めた人間の目だった。
美香「……全部お話しますけど、内容がどんなに突飛でも、ちゃんと信じてくださいね」
「急に素直になったな。お前の反応は時々、俺の予想を軽々と超える」
美香「本当ですか……? それは、ちょっと嬉しいです」
「この状況で喜べるとは……つくづく能天気な小娘だ」
心の揺らぎを隠すため、思ってもいない皮肉を吐いた。
美香の身体から、余計な力が抜けていくのが見て取れる。
(美香、お前は……『親切めいた指南役』じゃなく、『織田軍の裏切り者』の俺にさえ、向き合おうとするのか。俺という人間を丸ごと、あるがまま……受け止めようとしているのか)
指先が、ぴくりと疼く。
目の前にいるこの娘を今すぐ抱きしめて、二度と腕を解きたくない–––そう思った。
(……参った。どうやら俺は、想像以上に重症らしい)
気に入っている自覚はあった。
けれど、これほどまでとは思わなかった。
(俺は……美香が、愛おしい)
動かしがたい事実を噛み締めてから、深く息を吸う。
(……さて。それならそれで、仕切り直しをしなければな)
「お前が秘密を明かす気になったのなら、茶でも点てるか」
美香「え……?」
「長い夜になりそうだからな」
…………
美香が話を終えたのは、光秀の点てた三杯目の茶を飲み終えた頃だった。
(いやはや、素性の知れない奴だとは思っていたが……)
「奇想天外な話だな……。この『ばっぐ』とやらがなければ、信じることができなかっただろう」
美香「信じてもらわないと困ります……。話せと迫ったのは光秀さんでしょう」
「安心しろ。疑っているわけじゃない」
(心底驚きはしたものの、これで色々と合点がいった)
「馬鹿正直で可愛いおつむの持ち主のお前が、これほど壮大なホラを吹けるとは思えないからな」
美香「そうですね……」
「おや、反論しないのか?」
美香「今日はもう、疲れました。あなたに追いかけられて、脅されて、怖くてたまらなくて……。あまりに疲れたので、いっそ、どうにでもなれという心境です」
眠気がやってきたのだろう、美香の目元が少々赤くなっている。
「そう投げやりになるな」
美香「あなたがそれを言いますか……」
以前と変わらない気安さで、美香がため息混じりに応じる。
(……それでいい)
ふたりの間に満ちているのは、睡魔を利用し軽口を紡いで光秀が作り出した、偽りの平穏だ。
(お前が俺の全てを受け止めようというのなら……健気なお前を、脅し、傷つけ、支配するようなやり方は選ばない。その代わり、俺が為そうとしていることも俺の本音も、最後まではぐらかして隠し通そう。そばにいて、お前を守るために。共にいられる間、お前を思うさま甘やかすために)
美香「……そろそろ、眠いです」
「らしいな。……おいで」
考える隙を与えず美香を抱き寄せ、光秀は自分の膝を枕にして寝かせた。
美香「ええっと……光秀さん……?」
「寝床を用意している間に、お前のまぶたがくっつきそうだ。……このまま眠れ」
美香「でも……色々、おかしくないですか……?」
「何もおかしくはないだろう。変なことを言う奴だ」
適当に言いくるめ、美香の額に手のひらをあてがう。
髪を梳きながら、まぶたが下りていく様を見守った。
(作り物の平穏とはいえ……こんなに穏やかな夜を過ごすのは、いつ以来だろうな)
「お前は俺の秘密を手に入れた。俺もお前の秘密を手に入れた……。今夜以降は、もっと厳重にお前を監視するつもりだ」
美香「監視……」
「誰にも俺の秘密をしゃべるな。常に俺の目の届くところにいろ。そうすれば……お前が元の世へ帰る日、無事に送り出してやる」
寝物語の代わりに、つらつらと虚言を並べる。
真実を巧妙に織り交ぜながら。
美香「あなたの言葉は、もう……なんにも信じられません……」
「俺の言葉が嘘でも真でも、お前には信じる以外、選択肢がない」
美香「……ほんと、意地悪ですね」
「ああ、そうだ」
(安心して眠るといい。嘘と偽りで、俺がお前を守り抜くから。それが、残された時間の中で、俺がお前にしてやれる全てだ)
美香「ねえ、光秀さん……」
「ん……?」
美香「お茶……美味しかったですよ。光秀さんのくせに」
「……ふっ、それは光栄だ」
美香「味音痴なのに……すごいですね」
「味がわからなくても、手順さえわかっていれば何とでもなる」
美香「……私は、褒めたんです、あなたのこと」
「知っている」
(単なる社交の手段として磨いた腕だが、お前を喜ばせられたのなら、よかった)
「さあ、おしゃべりはもう終わりだ」
こはる「でも……」
「しー……。おやすみ、美香」
手のひらをあてがい、まぶたをそっと閉ざしてやる。
温かく柔らかな感触を、しばらくそのまま味わった。
(……間違っているな、俺たちは、何もかも)
自分を脅す裏切り者には、心を許すべきではない。
いずれ永遠に会えなくなる人間に、心を捧げるべきではない。
(だが、正しいかどうかなど、俺にとってはどうでもいい。身勝手で済まないな、美香。共に過ごす間だけ……俺にお前を愛させてくれ)
…………
蘭丸「ねえ、美香様! これって一体どういうことなの?」
美香「ええっと……」
「気にするな、蘭丸」
蘭丸「無理。俺だけじゃなくて城のみんなが気にしてるよ」
城内で行きあった蘭丸は、美香に寄り添う光秀に対して、敵意を剥き出しにした。
蘭丸「美香様から離れなよ、光秀様。ここ数日、べったりじゃん!」
(はてさて、これは単なる嫉妬か、それとも探りを入れているつもりか……。どちらにせよ、美香を離す気はないが)
あの夜から、数日が経った。
指南に加え、仕事の手伝いという名目で、光秀はこはるを四六時中そばに置くことにした。
美香には、『裏切りを密告しないよう監視されている』と思い込ませているが、こはるの身柄を保護することが真の目的だ。
(美香は気が休まらないことだろうが、俺にとっては利ばかりだ。共に過ごせる時間が増えた)
蘭丸「光秀様、独り占めはよくないよ? 美香様、俺のことも構って♪ ねっ?」
美香「ええっと、私もそうしたいんだけど……」
「美香と過ごすと、もれなく俺もついてくるぞ」
蘭丸「光秀様は遠慮しとく。美香様、行こ!」
美香の袖を引っ張る蘭丸の手を、光秀が容赦なく手刀で払った。
蘭丸「いったーい! 骨折れたー!」
「どれ、見せてみろ。ちゃんと折れているか確かめておこう」
蘭丸「何それ怖っ!」
蘭丸は素早くその場を飛びのき、頬をふくらませる。
蘭丸「美香様、こんな人のお手伝いなんてやめときなよ。ロクなことないよ絶対!」
こはる「うん、私もそう思うんだけど……」
(まあ、俺もそう思うが)
美香「ひゃ……っ!?」
背中を指でなぞると、美香はびくんと肩を震わせた。
「『そう思うんだけど』?」
美香「……何でもないです」
か細い声で答える美香の耳は、痛々しいほど真っ赤になっている。
(……いい子だ)
恥じらい困りはするものの、拒絶するほどではない–––
その境界を突きながら美香を愛でることが、最近、光秀の趣味になりつつある。
蘭丸「やーな感じー。なーんか裏がありそうっていうかー」
「口が過ぎるぞ、蘭丸」
蘭丸「これでも加減してるんだけど」
不意に、蘭丸の目が鋭く光った。
(……ほう、俺とやり合う気か。面白い)
「–––美香、次は政宗の御殿で会合だ。すぐ追いつくから先に行け」
美香「え、でも……」
「行け」
美香「は、はい」
美香は心配そうな顔をしながらも、先にその場を離れた。
美香が去ったのを見届けると、蘭丸は一段低い声で呟いた。
蘭丸「……どういうつもりか知らないけどさあ、美香様を傷つけたら許さないよ? あの子は俺の命の恩人なんだ」
「残念ながら、手遅れだ」
蘭丸「な……っ」
「……冗談だ」
(と、言うのも嘘だが)
かまをかけておいて、光秀は蘭丸の反応を観察する。
(どうやら探りを入れるというよりは……本気で美香を案じているらしい)
「あの娘の無事を祈るなら、余計な口出しをしないことだ」
蘭丸「なあにそれ。脅迫?」
「忠告だ。お前だって“痛くもない”腹をを探られたくないだろう?」
蘭丸「……あなたにだけは言われたくない台詞だね」
そう吐き捨てると、蘭丸は光秀に背を向け立ち去った。
(やれやれ……。蘭丸の背後にいる人間が、果たして気づいているかどうか。蘭丸は極めて優秀ではあるが……あれほどの『重荷』を背負わせるには、優しすぎる)
…………
政宗「ところで、噂になってるらしいぞ、お前ら」
(ん……?)
仕事の話が済んだあと、政宗手製のおはぎを食べながら、光秀の隣で美香は首を傾げた。
美香「噂って?」
政宗「あの光秀が、ついに陥落したってな」
(もう政宗耳に入ったか。この手の噂は、冬の山火事並みに広がるのが早いな)
美香「陥落って、まさか……っ」
政宗「『明智光秀が美香にベタ惚れして片時も離したがらない』と、城下でも大騒ぎらしい」
「ほうほう、それは初耳だ」
わざとらしく驚いてみせると、美なが疑わしそうな目を向けてきた。
美香「政宗、誤報だから! 光秀さんは急いで訂正して回ってください! 城下には光秀さんのファン……じゃなくて、光秀さんを慕ってる人がたくさんいるんです!」
「つれないことを言う。共に過ごした一夜をなかったことにする気か?」
美香「え……っ。っ、一緒に過ごしたからって、別に何もなかったでしょう……!」
「白を切るとはひどい女だ。だが、そういう思わせぶりなところも、そそられる」
(こうしてからかわれて怒っている顔も、なかなかに愛らしい)
政宗「へえ、噂は事実無根ってわけでもなさそうだな」
火照った美香の顔を覗き込み、政宗は短く口笛を吹いた。
政宗「光秀が美香をかっさらっていくとはな。まあ、横から奪うのも面白い」
口の端をつり上げた政宗の手が、美香の髪に触れかけた時、
(…………)
反射的に、光秀は美香の肩を抱き寄せた。
「手出し無用で頼むぞ、政宗。美香を巡って独眼竜と斬り合うのは御免だからな」
政宗「そうか? 俺はお前との手合わせならいつでも歓迎するけどな」
(あながち冗談でもないのが、この男の怖いところだ。とはいえ……奇妙なことになったものだ)
光秀が美香に惚れ込んでいるという噂も、政宗への牽制も、実は何一つ嘘がない。
(俺が美香を監視する織田軍の裏切り者だと、この娘に思い込ませているからこそ、いくらでも本音を吐き出せる。溜め込まずに済むのは、正直、助かる)
日に日にふくらむ美香への想いを、漏らさず胸に秘めておくのは、ひどく難しい。
政宗「にしても……」
堪えきれないように、政宗が笑い出す。
政宗「光秀を焦らせるとは、美香、お前なかなかの大物だな」
美香「違うよ、政宗! これは……」
「その通り。俺はこの娘に、すっかり参っているらしい」
思ったままの言葉を並べながら、光秀は微笑まずにはいられなかった。
(正直に振る舞うのは、案外、清々しい気分なんだな)
…………
美香「どうして根も歯もない噂だって、ちゃんと否定しないんですか……!」
「そう怒るな。これでも食べて機嫌を直せ」
苦情を言う可愛い口を、光秀は団子で封じた。
政宗と別れたあと、美香の怒りをなだめるためいつもの茶屋へと引っ張り込んだのだった。
「噂が広まるのは好都合だ。これで、俺がお前をそばに置くことに疑問を抱く者がいなくなる」
(まあ実際は、噂が広まるよう俺自身で仕向けたわけだが)
例の使者とは、あれから数回接触した。
美香については『引き続き目を離すな』とだけ言われている。
恋仲だと偽ることで光秀が美香を監視していると、先方も思い込んでくれたらしい。
自分以外に、美香をつけ狙う者の姿は今のところ見当たらない。
光秀としては満足な結果だが、当然、美香の機嫌は損なわれていく一方だ。
美香「っ……光秀さんなんて、嫌いです」
「それは残念。俺はお前が、愛おしいがな」
光秀は頬杖をつき、美香を見つめた。
大きく見開かれた瞳が、綺麗だと思った。
美香「本当に、大っ嫌い……!」
「本当に、お前は可愛いな」
美香「嘘ばっかり言って……っ。もういいです!」
美香は顔を背け、一心不乱に団子を食べ始める。
(全て本音だと明かしたら、お前は一体、どんな顔をするだろうな)
決してありえない未来だけれど、想像するだけで充分楽しい。
「むくれて団子を食う様子も、なかなかに可愛いぞ。どれ、ぷっくりふくらんだ頬袋をつついてみよう」
美香「っ、やめてください……!」
(無理を言うな。本当に……俺はお前が可愛くて仕方がないんだ。しめたものだな。偽りの関係でいる間は、いくらでもお前に愛を囁ける)
未知の時代に放り込まれながらも、自分なりの義を貫き、心を隠さず、全身全霊で生きている……
そんな美香が、光秀には眩しくてならない。
困らせたくて、甘やかしたくて、仕方がない。
いずれ美香に疎まれることになるとわかっていても、改める気にはなれなかった。
九兵衛「光秀殿、こちらにいらっしゃいましたか!」
(……九兵衛か)
店に飛び込んできた九兵衛の表情に、緊張が浮かんでいる。
「どうした」
九兵衛「信長様と秀吉様より、緊急のお呼び出しです」
「用向きは」
九兵衛「それが……」
言いよどみ、九兵衛はなぜかチラッとこはるを見た。
「構わない、言え」
九兵衛「『美香様との噂の件』とのことです。他にもひとつ話しておきたいことがある、とも」
(来たか)
噂を耳にした秀吉に呼び出されることは想定済みだった。
(それはそれとして、もうひとつの件というのが気になるところだな)
「九兵衛、ご苦労だったな。では行くか、美香」
美香「私も、ですか……!?」
「当然だろう? 俺とお前のことを報告するんだからな」
美香「その言い方は語弊が……!」
「そう慌てるな。ふたりに祝福してもらえるよう、俺がきちんと話をつけるから」
(信長様の前で宣言することで、この偽りの関係は完成する)
困惑する九兵衛を尻目に、光秀はこはるに片目をつむってみせた。
…………
信長「…………」
秀吉「…………」
「お待たせいたしました、信長様。秀吉、笑顔のひとつでも見せたらどうだ?」
秀吉「黙れ、うるさい、にやつくな」
(やれやれ……。信長様はともかく、このお人好しは今にも殴りかかって来そうだな)
美香は三人の顔を交互に見ながら、ハラハラした表情を浮かべている。
秀吉「美香とお前が恋仲だという与太話が、俺と信長様の耳に入ったわけだが、今すぐどういうことか説明しろ。万が一にも、美香にひどい真似をしたようなら……この場で足腰立たなくしてやる」
「ずいぶんと物騒だな」
信長「光秀。俺が見出した女に、貴様は手をつけたのか?」
信長に問いかけられ、光秀は冴え冴えとした笑みを浮かべた。
(悪いな、美香。この茶番に、とことんまで付き合ってもらうぞ)
「実は……」