戦国【光秀】共通6話後半
(ん……、目が重たい……)
布団から起き出し、あくびを噛み殺す。
すっかり身支度を整えた光秀さんが、文机に向かって筆を走らせていた。
華麗な筆運びについ見惚れるけれど、すぐに昨夜の出来事を思い出し、ハッとした。
「あ、あの……っ、おはようございます……」
光秀「おはよう寝坊助。顔を洗って来い。朝餉の前に話がある」
「はい……っ。ええっと、その、昨日は……」
光秀さんは顔もあげず、しっしっ、と手を振ってみせる。
(『いいから身支度しろ』ってことかな。でも、やっぱりお礼を改めて伝えたい)
「あの……夫婦の真似事でも、嬉しかったです。慰めてくれて」
昨夜もらった優しい言葉を思い出すと、自然と笑みが溢れてくる。
「ニセモノの夫役が光秀さんで、よかったです」
光秀「……っ。……そんないい笑顔をほいほい見せるな。警戒心の欠片もない」
「え、今なんて……?」
光秀「別に、何も言っていない。そんなことより、支度を急げ。お前は無駄口を叩くのに夢中のようだから、俺が水を頭からかけてやろうか、馬鹿娘」
「っ、それは遠慮します。顔、洗ってきますね」
急いで布団をたたみながら、私の頭の中には疑問符がいくつも浮かんだ。
(なんだか、いつもと反応が違う。妙にそっけないような……。気を悪くしているわけじゃないみたいだけど、どうしたんだろう?)
身支度を終えて、部屋へ戻ると–––
光秀「読め」
(文……? この筆跡は信長様だ)
手渡された文を読み、気持ちが一気に引き締まった。
光秀さんも、普段どおりの読めない表情に戻っている。
「信長様に、朝廷からの呼び出しが……?」
光秀「俺たちが調査している謀反の疑いの件で、京の公家たちに虚偽の報告をした者がいるようだ」
実際は小国の大名が怪しい動きをしている程度であり、その事実関係を調査しているところなのに、『大名が数十万の兵を集めて挙兵寸前、間違いない事実だ』と、何者かが公家たちに吹き込んだらしい。
(一体何のために……?)
朝廷から事の次第を報告するよう遣いが来たと、文には書かれていた。
光秀「急ぎ安土へ戻り、信長様共々京へのぼり公家たちに謀反の実態をご報告せねば。この国の謀反の芽を摘み取ってからな」
「でも……あの大名が本当に謀反を企んでるか調べるのは、これからでしょう?」
私にとっては許せない相手だけれど、それとこれとは話が別だ。
光秀「謀反の証拠なら、もうそろった」
(え!?)
「いつの間に……!? 証拠はどこにあるんですか?」
光秀「ここに」
光秀さんは自分のこめかみを、トントンと指で叩いてみせる。
「たった一日で情報収集し終えたんですか? すごい……!」
(さすがは光秀さん。織田軍の武将たちに一目置かれるだけのことはある。それに引き換え私は……)
役に立とうと大名に近づいたものの、返り討ちにあって、光秀さんに泣きついただけだ。
そんな思いをあっさり見透かし、光秀さんが私の頭を撫でた。
光秀「昨夜のお前の話も、充分役に立った」
「本当ですか……? 一体どのへんが……」
光秀「今にわかる」
光秀さんはにやりと笑うと、信長様宛の文を綺麗に折って懐に入れた。
光秀「証拠を揃えただけでは、信長様への手土産には不足だ。明日の祭りでケリをつける」
(謀反の企みを潰すってこと……?)
一体どんな計画なのか、たった一夜で成し遂げられるのか、そんな質問には意味がない。
なぜならこの人は、明智光秀だから。
(光秀さんがやると言ったら、必ずやる)
「私にお手伝いできることはありますか?」
光秀「お前には、総仕上げの大役を任せよう。楽しい即興芝居の始まりだ」
…………
(ええっと、他に必要なものは……)
その日の昼下がり、光秀さんに頼まれた買い物のメモを手に、私は村の市を訪れた。
安土に比べると、活気も品揃えも雲泥の差だ。
(やっぱり欲しい色の布は売ってないか。白い布と染料を買って急いで染めよう)
小道具を作るため必要最低限の物を手に入れ、パンパンの風呂敷を抱え直した時、懐かしい声がした。
佐助「美香さん……!」
幸村「お前……こんなとこで何してんだよ!?」
「佐助くん、幸村!? ふたりこそ、なんでここに……っ?」
駆け寄って、お互いにまじまじと見つめ合う。
(間違いなく、どっちも本人だ……!)
佐助「俺たちと君は、市で出会う運命なのかもしれないな」
幸村「冗談抜かしてる場合かよ」
幸村は厳しい顔をして、私に歩み寄ろうとする佐助くんの襟を後ろから引っ張って止めた。
幸村「いくら相手がイノシシ女とはいえ、仮にも敵方の人間に姿を見られてんだぞ。美香。お前、佐助から聞いてんだろ。俺たちが何者か」
「うん。でも、私自身はふたりの敵じゃないよ。それから……」
思い切って、幸村の方へと踏み込み、わざと怖い顔を作ってみせる。
幸村「っ、んだよ……?」
「イノシシ女じゃないって言ってるでしょ!」
幸村「……っ」
「そもそも、私がふたりを敵だと思ってたら、荷物を放り出して逃げてるよ」
幸村「まあ、一理あるな。つーか、よく怖がんないでつっかかってくるよな、お前。さすがは佐助の友だち、変人だわ」
佐助「幸村、その言葉は丸ごと自分に跳ね返ってくるけど問題ないか?」
幸村「あ」
「……っ、ふふ。ふたりは仲がいいんだね」
三人で顔を見合わせて笑い、緊張がふっとほぐれた。
(あっ、そうだ。ふたりがここにいる理由って、もしかして……!)
「あの、私は織田軍の事情で、素性を隠してここにいるんだけど……ふたりがここにいるのは、義元さんと、何か関係があるの?」
幸村・佐助「!!」
幸村「あいつ、この国にいるのか!?」
「え……っ?」
佐助「美香さん。俺たちがここへ来たのは、織田軍との戦とは無関係だ。義元さんと、彼を当主に掲げる今川家の家臣……越後から失踪した彼らを、捜しに来たんだ」
(失踪……!?)
「義元さんは、どうしてそんなこと……?」
幸村「それがわかんねーから探してんだ。この大事な時に、余計な面倒かけやがって」
佐助「義元さんが自分の意志で出ていったのは間違いない。だけど裏には、呼び寄せた何者かがいるはずだ」
幸村は怒りを隠そうともせず、佐助くんは無表情だけれど、ふたりとも心配しているのが伝わってくる。
(そういえば……)
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佐助「俺も次の任務は、織田軍以外の勢力の調査に当たることになってる」
「織田軍以外の勢力……?」
佐助「ここへ来る直前、職場で思わぬトラブルが発生して……。いや、俺のことはいい」
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「それが、前に言ってたトラブル?」
佐助「実はそうなんだ。目撃情報をたどって、ようやくたどりついたのがこの国だ。美香さん、知ってることがあれば教えてほしい」
「私も、一度見かけただけなんだけど……」
お祭りの舞台に義元さんが現れた時のことを話すと、幸村の顔に緊張が走った。
幸村「あいつと一緒にいたのは、この国の大名と……『義昭様』って奴で、間違いないのか?」
「……うん。豪華な身なりで、身分がやたらと高そうな人だった」
(昨日の夜のことまでは、さすがに話せない……)
治りかけの傷が疼いて、胸にそっと手をあてた。
佐助「まさか、そんなことが……」
幸村「くそ、面倒なことになって来やがった」
(どういうこと……?)
「ふたりは『義昭様』が誰か知ってるの? そんなに危険な人なの?」
佐助「恐らく、その男は……室町幕府第十五代将軍、足利義昭だ」
(将軍……!? 足利義昭……その名前なら覚えがある)
光秀さんに叩き込まれた歴史の授業の、重要人物のひとりだ。
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「没落した将軍……?」
光秀「そうだ。天下布武を掲げ日ノ本の統一を目指す信長様は当初、彼の後ろ盾になられていたんだが……、どうやら、身分の低い者が自分を差し置き力を振るうのが、将軍はお気に召さなかったらしくてな。信長様に戦を挑んで敗北し、京を追われて流浪の身となった。今では、鞆の浦に身を寄せていると聞く」
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(信長様と争って負けた将軍、この国の大名がもてなしてるってことは……)
謀反の疑いが、確信へと変わっていく。
(光秀さんは昨日、舞台に立つ将軍をじっと見てた。そして、私からあの人の名前が『義昭』だと聞いて、謀反の企みがあるって確信したんだ!)
「義元さんは、どうしてそんな人と……」
幸村「直接会って確かめる。美香、大名の屋敷はどこだ」
「ええっと、あっちの角を曲がって……」
幸村「ありがとな」
場所を説明し終えると、幸村はニッと笑って駆け出した。
(今から行くの!?)
「突然押しかけて大丈夫!?」
佐助「心配ない。幸村は思い立ったらすぐ行動の直球男児だけど、無鉄砲ではない。屋敷の構造を調べて、侵入経路を探るつもりだろう。俺も、行かないと」
「どうか気をつけて! 義元さんに会えるといいね……!」
佐助「ああ。しばらくはこの国にいるだろうから、会えたらまた会おう。それじゃ、ひとまずドロン」
幸村の後を追い、佐助くんも姿を消す。
思わぬ場所でふたりに会えたことが、嬉しかったものの……
(なんだろう。胸がざわざわする……)
道端の石ころを見るような『義昭様』の眼差しがよみがえり、冷や汗が額に滲む。
風呂敷包みを、胸にぎゅっと抱きしめた時–––
???「もしもし、そこのお嬢さん。少しいいかな?」
「え? わ!?」
口元を手で押さえられ、市の外れの林へと引っ張り込まれた。
(な、何!?)
ひと気がなくなり相手の力が緩んだ隙をつき、渾身の力を振り絞る。
「離して!」
義元「わあ!」
(よ、義元さん……!?)
思い切り突き出した掌底が、見事にヒットしてしまった。
尻もちをついて、義元さんはにっこり笑った。
義元「美香は、美しいものを愛するだけじゃなく、武芸も愛する女性なんだね」
「ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」
義元「平気だよ。こちらこそ手荒な真似をしてすまない。どうしても君と、ふたりきりで話がしたくて」
「それならそうと言ってくれれば……」
義元「俺は、人目の多いところだと目立ってしまう質だから」
嫌味もなく事実としてサラッと言ってのける義元さんに、私も素直に納得した。
(義元さんは安土の市でも、女性の視線を独り占めしてたっけ)
往来の少ない村の市を義元さんが歩いていたら、ちょっとした事件になりかねない。
義元「万が一騒ぎになって、幸村と佐助に気づかれるのは、少し具合が悪いんだ」
「ふたりは、義元さんを心配して捜しにきたって言ってましたよ……?」
義元「……うん、そうだろうね」
儚げな笑みが、整った口元に浮かぶ。
義元「その件はひとまず置いておいて……俺は、美香を捜してたんだ」
「私を……?」
義元「昨夜、屋敷から出ていく君を見かけて驚いた。家臣に何ごとか聞いたら……、……大変な思いをしたね」
「……っ、……はい」
いたわりのこもった優しい声が、癒え始めた傷口に触れる。
まだ痛むけれど、光秀さんがくれた言葉の包帯が、しっかりと守ってくれていた。
(よかった……。もう涙は枯れたみたいだ)
「私のいた国では、あんな扱いを受けることはなかったので……びっくりしました。でも、私ならもう平気です」
義元「ほんと……?」
「はい。義元さん、心配してわざわざ会いに来てくれたんですね。ありがとうございます、元気が出ました」
義元「…………。君は強いね。生きる活力に満ち溢れてる。こうして話していると、眩しいくらいだ」
(そ、そうかな……?)
だとしたらきっと、光秀さんが根気強く、私を励まし支えてくれたからだ。
義元「俺とは対極にいる人だな、美香は。元気が良くて、いきいきしていて」
「そうですか? 義元さんだって、安土の市であんなにいきいきしてたじゃないですか。美術品を見てるあなたの目、キラキラしてました」
義元「ふふ。君の目にそんなふうに映っていたのなら、とても嬉しいな」
義元さんは愉快そうに笑いながらも、遠い過去を懐かしむような目をしている。
(なんで、こんな顔するんだろう)
「義元さんは、どうして……義昭様と一緒にいるんですか」
義元「ん……?」
「佐助くんも幸村も、失踪したあなたのことをとても心配してます。どうして、家臣を連れて越後を離れたんですか……?」
義元「今川家没落の、総仕上げのため……かな」
(没落の……総仕上げ?)
ざわり、と肌が粟立った。
優美な微笑みの中に、滅びの予感が色濃く漂っている気がして。
「今のは、どういう……」
義元「–––気をつけて帰るんだよ、美香」
(あ……)
答えてはくれず、義元さんは背を向ける。
「義元さん……! どうか、佐助くんや幸村に、会ってあげてください! あなたを大事に思ってる人たちのこと、大事にしてあげてください……!」
遠ざかる背中に声を上げると、穏やかな視線が返ってくる。
義元「ありがとう、美香。ここで君とまた出会えて、嬉しかった。今日のこと、忘れないよ」
(……行ってしまった)
–––義元さんが何者なのかは、光秀さんの授業で史実を学ぶ中で気づいていった。
彼もまた、信長様と争って滅びた一族の敗将のひとりだ。
公には亡くなったことになっているけれど、落ち延びて家臣たちと越後に身を寄せていたのだと思う。
最後の将軍と、滅ぼされた今川家の当主。
信長様の手によって歴史の表舞台から追いやられたふたりが今、一緒にいることが、何を意味するのか……
(新たな戦いが、始まろうとしてるのかもしれない……。光秀さんに伝えないと……!)
「光秀さん……!」
光秀「おや、お帰り我が妻。買い出しは無事済んだようだな」
一座のみんなと稽古をしていた光秀さんは、休憩の指示をして輪を抜け出し、私から荷物を取り上げた。
(飛び入り参加なのに、演目をひとつ仕切ることになったんだ。さすが光秀さん……。って、今はお祭りどころじゃない)
「お話があるんです、ちょっと来てください」
光秀「ほう、いつになく積極的だな」
冗談を聞き流して、一座を離れ舞台裏に回る。
「光秀さんは気づいてたんでしょう? 昨日、私が会ったのは……将軍、足利義昭だって」
光秀「…………」
光秀さんのポーカーフェイスは完璧で、何の答えも読み取れない。
「信長様と争って負けた人だと、光秀さんに教わりました。だったら、この謀反の疑惑は……小国のいざこざにおさまらない可能性がある、そうですよね……っ?」
早口になる私に、光秀さんは肩をすくめてみせた。
光秀「そうだとしても、五百年先の世からやってきたお前には、関係のない話だ」
「関係なくありません!」
光秀「……なぜ」
「今ではこの時代にも、大切な人がたくさんいます。織田軍のみんなや、友だち、それに……、あなたも」
光秀「…………」
「あっ、今のは別に、深い意味は、ありませんけど……」
光秀「……まったく、何を言い出すかと思えば。話はそれだけか? 今は祭りの支度が最優先だ。仕事に戻るぞ」
ふいっと顔を背けられ、慌てて袖を引っ張った。
「待って! ちょっとくらい光秀さんの考えを教えてくれたって……」
光秀「…………っ」
(ん!?)
無理やり振り向かせた光秀さんの顔が、わずかに赤い。
光秀「–––いいから行くぞ」
「は……はい」
スタスタと先へ行く光秀さんの足取りが、いつもより速いのは気のせいだろうか。
(今、照れてた……? あなたが大切だって、私が言ったから……?)
カッと頬が火照って、しばらくその場を動けなかった。
深呼吸を十回してどうにか気持ちを落ち着け、みんなの輪に戻る。
光秀「美香、急いで小道具を仕上げろ。本番は明日だからな」
「ま、任せてください」
(光秀さん、もう普段通りの顔に戻ってる。でも、見間違いなんかじゃない)
話はぶつ切りになってしまったけれど、胸に巣食った不安が一瞬にして消し飛ぶ、大事件だった。
少なくとも、私と、彼にとっては。
(光秀さんは、照れるとそっけなくなるんだ……! 今朝、ちょっと様子がおかしかったのも、昨日私を慰めてくれたことが照れくさかったから……)
戦国時代へやってきて以来、最大の歴史的発見をしてしまった気分だ。
(っ、ともかく今は仕事に集中しよう。光秀さんが最優先って言うからには深い理由があるはずだし。ええっと、衣装のイメージ図は……。何、これ……?)
「光秀さん、これって、どういうお芝居なんですか?」
光秀「ちょっとした喜劇だ。俺が筋書きを考えた」
「光秀さんが……?」
光秀「まあ楽しみにしていろ。いい見世物になること請け合いだ」
きょとんとする私に、光秀さんは不敵な笑みを浮かべてみせた。
そして……
大勢の人の運命を揺り動かす、祭りの夜がやって来る。