戦国【光秀】共通9話後半
光秀「織田信長に従わざるを得なかった間も、あなたへの忠義を忘れた日は一日もございません」
義昭「はっ……、相変わらず、よく口の回る男よのう」
光秀「口だけではないと、早晩、証明いたします。必ずやこの手で、憎き織田信長を亡き者にしてみせましょう」
義元・元就「…………」
光秀が微笑んだ瞬間、ひやりとした冷気が広間に流れたように誰もが思った。
光秀「信長暗殺の報に京は騒然となり、再び世は乱れるでしょう。そこへあなたがおでましになり、公家の方々をお静めになれば……権力の座に返り咲くのは、造作もないことかと」
義昭「そなたに言われるまでもない。すべて、私の計略に織り込み済みのこと。して、信長暗殺の策は?」
光秀「信長一行を、夜闇に乗じて討ち取ります」
義昭「信長とて、京への呼び出しは罠だと気づいている頃であろう。居所を掴ませる真似はするまい」
光秀「それが、そうでもございません」
義昭「ほう?」
光秀「信長一行が逗留するのは、本能寺です」
元就「へーえ?」
義元「……なるほどね」
目を細め同調するふたりを、義昭の側近たちが呆れ顔で睨んだ。
義昭の側近1「馬鹿なことを。貴殿ら、正気か? 信長はつい二月ほど前に本能寺で何者かに襲われ、命を落としかけたばかりだろう」
義昭の側近2「まったくだ。同じ轍を踏むとは到底思えん」
義元「と、自分に危害を加えようと企む者なら考えるだろうと、信長も予想するに違いないからだよ」
義昭の側近たち「……!」
はっとして、側近たちが押し黙る。
元就「相手の裏の裏をかく。そいうことだろ、明智光秀」
光秀「お二方の仰る通り。信長一行は必ずや、再び本能寺に現れます。数が少ないことを逆手に取り、居場所を誰にも知られないよう秘密裡に」
義昭は満足げに微笑むと、手にした盃を傾けた。
義昭「……光秀の言う通りだ。信長は本能寺に逗留することになっている」
光秀「おや……? 義昭様はご存知でしたか」
義昭「織田軍の内部にもこの私に忠義を尽くそうとする者はいる、ということだ」
義昭の側近たち「さすがは義昭様……!」
感服する側近たち見向きもせず、義昭の目は光秀を捉えたままだ。
光秀「ご存知ならご存知と仰ってくだされば。義昭様もお人が悪い」
義昭「そなたの忠義を試したのだ。かつての主君の居所を、躊躇なく暴露できるか否かをな」
光秀「お伝えしたはずですよ。私の主君はあなた様おひとりだと」
義昭「では、その言葉が真実であると、本能寺にて証明せよ。そなたが信長の首を刎ねるのだ。この私の目の前でな」
光秀「御意のままに
」
光秀は胸に手を当て、恭しく礼をした。
光秀「信長は京に長くとどまることはしないはず。一晩で、ケリをつけることといたしましょう」
元就「……待て待て。今のは聞き捨てならねえな」
光秀「何か不満でも?」
元就「不満タラタラだ。たった一晩で終わらせるだと? 冗談じゃねえ。俺は、日ノ本をひっくり返す面白え祭りがあるって聞いたんで、一枚噛む気になったんだ」
光秀「ひっくり返すさ。ただし、音もなく静かにな」
元就「そんなもんは祭りと呼ばねえ。ド派手に血が流れねえとよ」
光秀「ほう、元就殿は独創的なお考えをお持ちらしい」
否定も肯定もせずに、光秀は鈴が鳴るような笑いを響かせた。
光秀「義元殿はいかがかな?」
義元「俺はどんなやり方だろうと構わないよ。家臣共々、いつでも討って出よう」
光秀「頼もしいお言葉だ。名将と謳われたあなたがお味方とは心強い」
義元「それはどうもありがとう」
元就「……ちっ」
心ない言葉の応酬を重ねるふたりに、元就は退屈そうな顔で舌打ちした。
義昭「駒はそろった。今宵は酒が進むのう」
上機嫌に微笑み、義昭が盃を重ねる。
義昭「どれ光秀。宴の余興に、舞でもひとさし舞ってみよ」
光秀「喜んで」
進み出た光秀は、義昭の側近が差し出した扇を手に取った。
朗々たる声で歌い出すと、扇で空気を撫でながら、その身を音に溶かす。
身体の重みをまるで感じさせない優美な足運びは、人ならぬ者を思わせた。
義昭「…………」
流れるような所作を眺めるうち、ふと、義昭の目に驚きが浮かぶ。
歌い終え、扇を閉じて礼をする光秀を、義昭はそばへと呼び寄せた。
義昭「ときに光秀」
光秀「はい、義昭様」
義昭が空の盃を差し出すと、光秀は徳利を持ち上げる。
義昭「そなた……私の前に姿を見せるのは、いつ以来になる?」
光秀「さあ、何年になりますやら」
盃にゆっくりと満ちていく酒に、義昭の鋭い眼差しが注がれる。
義昭「そなたと似た空気をまとう男に、つい先日出会ってのう。我が駒の正体が化け狐でないことを祈るばかりだ」
義元「…………」
元就「あ……?」
光秀「はてさて、何のお話でございましょう」
義昭「何、心当たりがないなら良い」
酒を一息に飲み干し、義昭は盃をトンと膳に置いた。
義昭「悪しき魔王の天下もあとわずか。信長によって乱れた世を私が鎮め、天下静謐を成し遂げてみせよう」
義元・元就「…………」
光秀「必ずや、義昭様のお考えのままになりましょう」
ほがらかに告げ、光秀は徳利を傾ける。
義昭「酒はもう良い。皆、下がってゆるりと休め」
光秀「はっ」
…………
光秀と義元、元就が去ると、義昭は使者をそばへ呼び寄せた。
義昭「引き続き、光秀の身辺を洗え」
義昭の使者「それでしたら、すでに安土において可能な限りの情報を……」
義昭「足りぬ。あれを私の思うがままに操れるだけの弱みを探り出せ。光秀は諸刃の剣だ。必殺の武器ともなるが、我が手を傷つけぬとも限らん。手に入れたとて油断はならん。あれには、決して外れぬ首輪をつけてやらねばな」
義昭の使者「……はっ」
元就「俺はこの辺で失礼するぜ」
廊下へ出た途端、元就は光秀と義元に片手を上げてみせた。
義元「この土壇場で、義昭様の元を離れるの……?」
元就「アテが外れたんでよ。将軍様主催の祭りはどうにも地味で、俺には物足りねえ」
光秀「それは残念。猛将と世に聞こえた元就殿と、ぜひとも共に戦いたかったのだが」
元就「別れを惜しまなくても、いずれまた顔を合わせることになる。俺が、理想の祭りを始めたらな。その時は、楽しく健全に殺し合おうぜ」
光秀「おお、怖や怖や」
義元「俺としては君が抜けてさっぱりするけど……どこへ行くつもり?」
元就「血の匂いがするところなら、どこへでも。置き土産に、銃と火薬をたっぷりくれてやる。せいぜい派手にやれ」
義元「…………」
元就の足音が遠ざかると、廊下は急に静かになった。
義元「これで、信長暗殺の黒幕がひとり減ったね」
光秀「義元殿がいてくださるなら、戦力に不足はない。今川家の方々にもお目にかかれて光栄だ。滅んだものとばかり思っていたが……」
義元「うん、今川家は滅んだよ。俺が率いているのは、過去の栄華を忘れられない、愚かで不憫な亡霊たちだ」
光秀「ほう……?」
澄み切った義元の目を、光秀はじっと見据えた。
光秀「……なぜ、あなたは義昭様の元へ?」
義元「亡霊を過去から解き放つため。君の方こそ、どうしてここに?」
光秀「……俺は義昭様が信長に倒されるまで、あの御方に忠義を誓っていた身。馳せ参じて当然だろう?」
義元「そうかな? –––美香という名を、俺は知っているよ」
光秀「…………」
光秀の目の奥が、一瞬、揺れた。
義元「西方のある国で、小さな祭りが催された夜……俺も、身を隠して舞台を見ていたんだ。可憐な彼女をさらって逃げ去った化け狐は……今頃一体、何を考えているのかな」
光秀「……何のことやら」
義元「君が義昭様の元に下った真意が、俺にはわからない。君のことをよく知らないから。でも、こはるのことは、少し知ってる。自分を救った狐がこんなところにいると知ったら……優しいあの子は、きっととても哀しむよ」
光秀「……美香の想いを、あなたが語るな」
義元「どうして? 俺には俺の、彼女との物語がある。君の知らない、ね」
光秀・義元「…………」
張り詰めた沈黙ののち、ふっと、光秀の口元がほころんだ。
光秀「立ち話はここまでとしよう。大義を前に、小娘のことなどどうでもいい。だろう?」
義元「……そうだね、終わりにしようか。これ以上は何を言っても君ははぐらかす気だろうから。信長一行が京に入るのはいつ?」
光秀「三日後。本能寺の動向は俺が見張ろう」
義元「ではこちらは、いつでも家臣たちを動かせるようにしておくよ」
光秀「頼りにしている。では、今宵はこれで」
裾をさばいて、光秀が背を向ける。
広い背中を、義元の柔らかな声が追いかけた。
義元「–––ねえ、光秀殿」
光秀「何か?」
義元「次の戦は、帰る場所のない今川家の人間にとって、最後の晴れ舞台だ。君にとっては、一体どんな舞台になるのかな?」
光秀「さあ? 俺は、義昭様の筋書き通りに踊るまで。–––では」
立ち去る光秀の背を、義元は無表情に見送った。
義元「食えない男……、いや、狐かな」
…………
三日後–––
光秀「……来たか」
物陰に隠れ、光秀は本能寺へ現れた少人数の一行に目を凝らした。
威風堂々とした歩みを見れば、遠くからでも、その男が信長だとわかる。
そばには、張り詰めた表情の秀吉の姿も見える。
そして–––
光秀「……!」
光秀はとっさに手で口元を抑え、眉根を寄せた。
光秀「どうして、お前がここに……」
「秀吉さん、ちょっといいかな?」
秀吉「どうした?」
本能寺に到着し荷物を下ろすと、私は秀吉さんに駆け寄った。
「今夜の食事、私に作らせてもらえないかな? 公家の方たちとの会合に私はついていけないから、待ってる間に支度しておくよ」
秀吉「悪いな、美香。そうしてくれると助かる。迎えてくれた寺の者たちに悪いけど、食事に毒が仕込まれる可能性も捨てきれないからな」
「うん、食材を集めるところから私がやっておくね。どうか気をつけて行ってきて」
秀吉「ああ、ありがとな。お前を連れてきたことに、今でも俺は納得してないけど……お前がいてくれてよかった」
秀吉さんは私の頭をくしゃっと撫でると、すぐにそばを離れ、会合へ出向く支度に取り掛かった。
(ついに京へ来た……。いつ何が起きるかわからない。信長様と秀吉さんたちが、無事に会合から帰ってこられますように)
私は一心に祈りながら、出掛けていくみんなを見送った。
夕刻、付き添いを買って出てくれたお坊さんと一緒に、私は買い物へと出掛けた。
本能寺の僧「おっと……。美香殿、少々お待ちいただけるかな。どうやら手ぬぐいを落としたらしい」
「ここでお待ちしていますね」
慌てて来た道を駆け戻るお坊さんを見送り、食材を包んだ風呂敷を抱え直す。
(何ごともなく会合が終わってるといいな……。ただ、そうだとしても安心はできない。『義昭様』が待ち構えてるとしたら、何ごともなく京を発てるはずはない)
あの冷たい目を思い出すだけで恐ろしいけれど、胸に押し寄せるのは不安だけじゃない。
(どうか、どうか、光秀さんに会えますように。どんな形でも構わないから)
心の底から強く願った、その時だった。
光秀「–––おい、馬鹿娘」
「!? みつ、」
光秀「来い」
(わ……!?)
腕を捕まれ、引きずられていき……
橋のたもとの古びた蔵の中へと、あっという間に連れ込まれた。
光秀「まったく、お前という奴は……」
(夢じゃ、ない……)
「光秀さん……!」
光秀「……っ」
考えるより先に身体が動いて、私は光秀さんの首に抱きついていた。
「会いたかった……」
光秀「っ…………」
両肩を捕まれ、ぐいっと引き離される。
闇の中で、光秀さんが瞳を光らせ私を見据えた。
光秀「一体、何をしている? どうして京に……」
「あなたを追ってきたんです」
光秀「…………。俺がどういう相手と手を組んでいたか、織田軍はとうに見抜いたあとだろう」
「……はい」
光秀「それを知った上で、俺を追ってきたと?」
「はい」
光秀「……少しは賢くなったと思ったんだが、俺の勘違いだったようだな、馬鹿娘」
「馬鹿で構わない、あなたの心に触れられるのなら。いくらでも馬鹿になって、どんな危険にも平気で飛び込んでみせます」
光秀「……悪い子だ。いい子にしていろと言っただろう」
苦しげな呟きとともに、背中をそっと抱きしめ返される。
長いまつげを伏せ、光秀さんがため息をついた時……
僧の声「美香殿ー……!」
(……! お坊さん、戻ってきた)
光秀「京を離れろこはる、今すぐにだ」
「あ、待っ……!」
外へと滑り出た光秀さんを追いかけたけれど、眩しい西日に目がくらみ、その背中を見失ってしまった。
本能寺の僧「美香殿、ここにおられましたか。何かありましたか?」
「っ……いいえ」
荷物を抱え直し、呼吸を整える。
(間違いない。光秀さんと手を組んだ『義昭様』が、これから何か仕掛けてこようとしてる。光秀さん、ごめんなさい。あなたの言うことを聞けません。私はどこへも行きません。たとえ今から何が起ころうと、あなたの心を捕まえるまで)
…………
やがて、夜の帳が下り……
真夜中、寝静まった京の町に、戦支度を済ませた武士たちが滑り出た。
義昭の側近である屈強な兵と、今川家家臣が整然と並び、興奮を隠しきれず目をギラギラ光らせている。
義昭の側近「いよいよ、積年の恨みを晴らす時だ……!」
今川家の家臣「信長を討ち、義昭様の元で今川家を再興するのだ……!」
光秀「気合は充分と見える。頼もしい限りだ」
義元「……そうだね」
光秀「義元殿は、気乗りしないご様子だな」
義元「気乗りのする戦なんて、今までに一度もなかったよ。俺は自分の責任を果たして、見届けるだけ。俺の血の行く末を」
光秀「……そうか」
その時、兵たちの担ぐ輿に乗った義昭から声がかかった。
義昭「光秀、そなたが先陣を切れ」
光秀「はっ」
義昭「楽しみにしているぞ。そなたの手で信長の首を刎ねるその瞬間をな」
光秀「ぜひともお近くでご覧くださいませ。私なりの義の貫き方を、お目にかけましょう」
光秀は礼をして義昭のそばを離れると、百を超える兵たちの前へと進み出た。
光秀「では参ろうか、皆々様。–––敵は、本能寺にあり」