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イケメンシリーズ ストーリーのネタバレです

戦国【光秀】共通10話前半

 

私たちは本能寺の一室で、『その時』を待っていた。

 

(深夜なのに、少しも眠気を感じない)

 

信長様は腕組みをしてあぐらをかき、微動だにせず虚空を見据えている。

秀吉さんの手は、刀の柄にかかったままだ。

ふたりから離れないよう命じられた私は、不安と期待の中で深呼吸を繰り返していた。

 

(静かだな……)

 

お坊さんたちには、よそへ避難してもらった。

襖の向こうには見張りの兵たちがいるものの、物音ひとつ立てない。

 

(お寺中に緊張が満ちてる。……当然か。公家たちとの会合は無事に終わったから、信長様は明日、京を発つ。夕方、光秀さんが私に会いに来たことを考えると、信長様が本能寺にいることは敵に掴まれてる。『義昭様』が仕掛けてくるなら、今夜しかない)

 

不安と期待を持て余し、手を強く握りしめた、その時だった。

 

信長の家臣「敵襲、敵襲–––!」

 

信長「来おったな」

 

(ついに始まった……!)

 

弾かれたように立ち上がり、外を見て総毛立った。

 

(お寺が囲まれてる! 先頭にいるのは……、光秀さんと、義元さん……!)

 

秀吉「信長様はここに! 美香、おそばを離れるな!」

 

「うん……! 気をつけて、秀吉さん!」

 

信長「抜かるな、秀吉」

 

秀吉「はっ!」

 

家臣ふたりを護衛に残し、待機していた兵を引き連れ、秀吉さんが飛び出していく。

表を見ると、寺の入り口に向かって、敵兵がどっと押し寄せてくるところだった。

 

(大変……! 相手の人数が想像以上に多い)

 

光秀さんが先陣を切り、道を切り開いている。

 

(……! 光秀さんの後ろにいるのは……)

 

広い背中に守られ悠々と歩み出た人の顔を見て、血が沸騰した。

 

(足利、義昭……!)

 

信長「踏み込まれるのは時間の問題だな」

 

信長様の声で、はっと我に返った。

 

信長「美香。貴様が俺の役に立つ時がきた」

 

「えっ? 今、ですか?」

 

信長「まもなく、光秀がここへやって来る。貴様は、あいつから目を離すな」

 

「一体どういう……」

 

ダンッ–––

 

「!?」

 

襖が蹴破られ、質問の続きがかき消される。

 

光秀「しばらくぶりです、信長様」

 

信長「……光秀」

 

「光秀さん……!」

 

光秀「…………」

 

(こっちを見ようとしてくれない……)

 

土足で入り込んだ十数人の敵兵が、じりじりと私たちを部屋の隅へと追い詰める。

こちら側は信長様と私、ふたりの家臣がいるばかりだ。

 

???「観念せい、尾張の大うつけ」

 

先頭に立つ光秀さんの背後から響いた声に、信長様が片眉を上げた。

 

信長「うつけはどちらか、幾度も貴様に教えてやったはずだがな」

 

義昭「この期に及んで虚勢を張るか。滑稽よのう」

 

光秀さんと兵たちに守られながら、『義昭様』は乾いた笑い声を上げる。

 

(……っ、一体、何がおかしいの……!)

 

義昭「ときに光秀、くれぐれも気をつけろ。私の衣を汚れた血で汚さんようにな」

 

光秀「心得ました」

 

信長の家臣「明智光秀……っ、この裏切り者が!」

 

家臣のひとりが怒りに顔を歪ませ、光秀さんに飛びかかる。

 

(え……!?)

 

彼を背中から斬りつけたのは、信長様のそばにひかえていた別の家臣だった。

 

信長の家臣「お前……なぜ……っ?」

 

裏切った家臣「まんまと騙されたな。私はもとより義昭様に仕える身だ」

 

(厳選したはずの護衛の中に、スパイが……!?)

 

裏切った家臣「覚悟しろ、信長」

 

信長「…………」

 

敵兵が殺到し、信長様を羽交い締めにする。

 

「信長様!」

 

敵兵「小娘、邪魔だ!」

 

(っ……!)

 

駆け寄ろうとした私も、数人がかりで抑え込まれた。

 

義昭「さあ、光秀。魔王の首を刎ね、この場で私に献上せよ」

 

光秀「–––仰せのままに」

 

すらり、と抜き放たれた刀が、夜闇に光る。

思わず息を呑んだけれど–––絶望なんてしなかった。

 

(私は信じる。光秀さんの貫こうとする義は……人への優しさと、切り離せないものだって。人間を人間とも思わない将軍に、この人が魂を売り渡すはずがない!)

 

顔を上げて、光秀さんを真っすぐに見つめる。

押さえ込まれた信長様も、動じることなく光秀さんを見据えている。

 

光秀「…………」

 

義昭「やれ」

 

光秀「–––はっ

(!!)

 

光秀さんの刀が翻り、次の瞬間、鮮血に身を染めていたのは、

 

義昭「な……、に……?」

 

信長様を斬るように命じた、足利義昭その人だった。

 

光秀「失礼。手元が狂いました。殺すつもりで斬ったのですが、思いのほか軽傷のようだ」

 

(光秀さん……!)

 

敵兵たちが悲鳴を上げ、信長様と私から離れ、義昭様へと駆け寄ろうとするけれど……

それより速く、膝をつく将軍の首に、光秀さんの刀の切っ先がピタリと当てられた。

 

光秀「おのおのがた、お騒ぎなさるな。私の手元が狂って、この細首を掻っ切らないとも限らない」

 

敵兵たち「く……っ」

 

義昭「そなた……っ、気でも狂ったか……!? 土壇場で私を裏切るとは……」

 

光秀「裏切る? まさか。私が忠誠を誓うのは、今も昔も、己の掲げる義のみです」

 

人の悪い笑顔が、私の胸に巣食っていた不安を一瞬で蹴散らした。

 

(光秀さん、信じていました……!)

 

信長「くく……っ、ははは……! それでこそ俺の左腕だ」

 

光秀「恐れ入ります」

 

乱れた着物を悠々と整え、信長様が光秀さんの隣に並ぶ。

 

私もふたりのそばへと駆け寄った。

 

義昭「は……っ、不届き者めらが……!」

 

切り裂かれた着物を押さえ、将軍が顔を歪める。

傷は浅かったようだけれど、怒りのためにその声が震えている。

 

義昭「私を手にかければ待ち受けるのは没落だと、なぜわからん!?」

 

光秀・信長「…………」

 

義昭「信長が世にのさばっている今も尚、私が朝廷の定めた将軍であるという事実は変わらん。高貴なる身に手をかけたとなれば、朝廷からの信頼は失墜し、信長の地位が奪われることは必定!」

 

光秀「ご心配には及びません。信長様と朝廷の関係も、その確固たる地位も、揺るぎはしません。『将軍殺し』の大逆を行なったのは、織田軍を裏切った謀反人、この明智光秀ただひとり」

 

(え……っ?)

 

信長「やはりそういう腹づもりだったか。この狐めが」

 

光秀「……お館様には、お見通しでしたか」

 

(将軍を手にかければ、信長様の地位や織田軍の存続が危うくなる……。だから……)

 

「だから、光秀さんは……誰にも言わずに、たったひとりで……?」

 

光秀「…………」

 

震える声をこぼした私に、光秀さんはただ、困ったように笑ってみせた。

 

(何もかもを見越して、独りきりで、この人は戦い続けてたんだ……)

 

言いようのない熱が、喉元までせり上がってくる。

 

義昭「おのれ……! 初めから計算ずくで、我が使者の誘いを受けたというのか……!」

 

将軍の顔からは取り澄ました高貴さが消え、むきだしの悪意が浮かぶ。

 

義昭「生きてここを出られると思うな! 表にいる我が兵がそなたたちの手勢を殲滅し、今にここへ参る! 信長ともども本能寺で果てるが良い!」

 

恨みに満ちた金切り声に、心臓が嫌な音を立てる。

 

(表では秀吉さんが、圧倒的に不利な状況の中で、敵兵を食い止めてくれてる。秀吉さんは強い人だ。絶対、負けたりしない。でも……敵側では、義元さんも戦ってる)

 

今にも消え入りそうな儚く美しい笑みが、鮮烈によみがえってくる。

 

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義元「君は、強いね。生きる活力に満ち溢れてる。こうして話していると眩しいくらいだ」

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「佐助くんも幸村も、失踪したあなたのことをとても心配してます。どうして、家臣を連れて越後を離れたんですか……?」

 

義元「今川家没落の、総仕上げのため……かな」

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(秀吉さんにも義元さんにも、生き抜いてほしい……!)

 

織田軍の勝利と敵将の無事、矛盾した願いが胸の中でぶつかり合い、感情がぐちゃぐちゃだ。

 

信長「–––そろそろか」

 

ふと、信長様が視線を外へと投げた。

 

(そろそろって……?)

 

視線の先を追うと、外から馬の蹄の音と兵たちのどよめきが響いてきた。

 

義昭「何ごとだ……!?」

 

政宗「謀反人、明智光秀はここか?」

 

(政宗!?)

 

秀吉「っ、おい!? どうしてお前が……!?」

 

政宗「おっと。織田軍の謀反人を追って来てみれば、仲間の秀吉何者かに襲われてるぞ。助太刀しない理由はないな。–––いざ!」

 

秀吉「……っ、そういうことか。白々しい真似しやがって。背中は任せたぞ、政宗!」

 

政宗「背中だけと言わず、暴れさせろよ」

 

政宗率いる百を超える兵が、みるみるうちに敵兵をなぎ倒していく。

 

(すごい……!)

 

今川家の家臣「引くな! 戦え! ここを離れれば死に場所はないぞ!」

 

義元「……っ」

 

義昭「っ……軍を率いて京に入り、私を討とうとは……! ますます朝廷が許さんぞ!」

 

信長「貴様の耳は飾りか? 政宗はあくまで、織田軍の謀反人を追ってきただけ。京にたどり着いたのは偶然だ。そして奴が討とうとしているのは、たまたま遭遇した、秀吉を襲撃する『何者か』の一団にすぎん。朝廷には縁もゆかりもない、小競り合いだ」

 

義昭「…………っ」

 

(安土を発つ前、信長様が政宗に耳打ちしたのは、このことだったんだ……!)

 

光秀「–––義昭様、ご覚悟を」

 

光秀さんが、スッと刀を振り上げる。

銀色の刃が振り下ろされる、その間際–––

 

義昭「そこの者、来い!」

 

敵兵「!? ぎゃ……っ!」

 

光秀「……!」

将軍が強引に引っ張り寄せた敵兵が、光秀さんの刀で斜めに斬られ、バタリと倒れた。

 

(自分の味方を、盾にするなんて……!)

 

敵兵たち「……っ」

 

義昭「何を呆けておる! 早う私を外へと連れ出さんか!」

 

敵兵たち「っ……、は!」

 

敵兵は自分たちの身体で壁を作って将軍を囲み、もつれるように外へと逃げ出した。

 

信長「追うぞ、光秀」

 

光秀「はっ。ただその前に美香を安全なところへ……」

 

信長「美香は、光秀と共に行け」

 

光秀「なっ……」

 

(戦う光秀さんのそばにいろってこと……!?)

 

「信長様、私が一緒では足手まといになります! 邪魔にならないよう、どこかに隠れて……」

 

信長「ならん。足手まといがいるくらいが、切れ味の鋭過ぎるこやつには丁度良い」

 

(……! そういうことか……)

 

信長「美香、必ずやこの戦を生き抜き、光秀を俺の元へ連れて戻れ」

 

信長様の力強い声を聞きながら、ようやく理解した。

 

(信長様が私を京へ連れてきたのは、光秀さんがこれ以上無茶をしないようにするためだったんだ……。何もかも自分で背負い込んで、また、独りでどこかへ行ってしまわないように)

 

「そういうことでしたら……二度と、私は光秀さんから離れません」

 

固く心に決め、私は光秀さんの手を握った。

 

光秀「……っ」

 

信長「良いな、光秀?」

 

信長様に鋭い眼差しを向けられ、光秀さんの口元がふっとほころぶ。

 

光秀「–––主命とあらば」

 

信長「では、行くぞ。ふたりとも決して、死ぬことはならん。いざ……!」

 

(わ……っ)

 

外では、敵味方が入り乱れ、凄まじい斬り合いが繰り広げられていた。

誰かが放った火矢が垣根を燃やし、ぶつかり合う刀が煙を揺らす。

 

(将軍の姿が見当たらない……っ。逃げ出したんだ!)

 

縁側に出ると、光秀さんと私に気づいた敵兵が刀を振り上げ迫ってきた。

 

光秀「美香、戦場で大切なことはなんだ?」

 

問いかけひとつで、かつて見た戦場の光景が、まざまざとまぶたの裏に映し出された。

 

(一言一句覚えてる。光秀さんの厳しい言葉を)

 

「目を、開いていることです。怖くても現実を直視して……生き抜くことです」

 

光秀「満点だ。ではひと仕事と行こう。言うまでもないことだが……俺から一歩も離れるな。いいな?」

 

「はい……!」

 

敵兵「光秀、覚悟……!」

 

光秀「覚悟をするのはそちらの方だ」

 

敵兵「!? ぐは……っ」

 

光秀「死にたくなければ寝ていることだ」

 

軽やかな太刀筋で敵兵を次々と転がし、光秀さんが敵の合間を駆け抜ける。

広い背中から目を離さずに、私も必死に走った。

 

光秀「……!」

 

(あ……!)

 

光秀さんの足が、石畳の上で止まる。

手負いの家臣たちを率いて、戦場に不似合いな優美さをまとった人が、立ち塞がっていた。

 

義元「美香……。君とはもっと、趣のある場所で再会したかったな」

 

「義元さん……!」

 

光秀「家臣共々刀を収めてもらおうか、義元殿。この戦、織田軍が勝つことになっている」

 

義元「最初からそういう計画だったわけか。さすがは安土の化け狐」

 

やんわりと微笑みながらも、義元さんは刀を抜き放った。

 

義元「俺は、引かないよ。引くわけにいかないんだ。今ここで、すべてを終わらせるために」

 

(終わらせるって……?)

 

今川家の家臣「義元様! ここは我々が……!」

 

義元「怪我人は黙りなさい。当主の俺が、討って出ると言っているんだよ」

 

今川家の家臣「……っ」

 

静かだけれど甘さのない一声に、ほんの数秒、その場が静寂に包まれた。そして–––

 

義元「は……!」

 

光秀「……っ」

 

舞うように繰り出された一太刀を、光秀さんが受け止める。

 

光秀「腕は鈍っていないご様子。–––加減はいらないな」

義元「……!」

 

流れるように繰り出された斬撃を、義元さん肌に触れる寸前、辛くも防いだ。

 

(光秀さん、義元さん……っ)

 

刀を噛み合わせたまま、両者、腕に力を込めていく。

睨み合う顔と顔が目前に近づいた時、義元さんが小声で囁いた。

 

義元「–––これが、第六天魔王お気に入りの実力か。相手にとって不足はないな」

 

光秀「何が言いたい」

 

義元「光秀殿。俺を、ここで殺してほしい」

 

光秀「殺せ、だと……?」

 

(義元さん、何を……!?)

 

光秀「なぜ」

 

義元「そうすれば、諦めの悪い家臣たちも、さすがに受け入れられるだろうから。今川家が滅んだ事実をね。その代わり、彼らの命は見逃してくれ。……後生だ」

 

光秀「義元殿……」

 

(そうか……。義元さんは、栄華を忘れられない家臣のために、越後を出てまで将軍に従ったんだ。天下をかけた戦の中で、当主として刀を振って……徹底的に負けて、今川家を終わらせるために。並々ならない覚悟だ。でも……っ)

 

光秀「いいんだな」

 

義元「ああ」

 

刀と刀がゆっくりと離れ、光秀さんが柄を握り直した。

 

「いけません……!」

 

光秀・義元「!?」

ふたりの間に飛び込み、義元さんを背にして両手を広げ、叫ぶ。

 

「逃げてください、義元さん!」

 

義元「美香……っ?」

 

「逃げて、あなたも生きてください! 今川家のためじゃなく、あなた自身のために。あなたには、帰る場所があるでしょう!?」

 

義元「帰る、場所……」

 

「佐助くんと幸村、越後の人たちが、義元さんを待ってます! だから、どうか……! あなたの背負う責任がどれほど重いものでも、そのために、命まで捨てないで……!」

 

義元「美香…」

 

光秀「……まったく。この俺の目の前で敵を庇うとは、いい度胸をしている」

 

(わっ!)

 

光秀さんに腕を捕まれ、ぐいっと引き寄せられる。

 

「ごめんなさい、光秀さん。でも、私……っ」

 

光秀「お前と義元殿が顔見知りであることは聞いている。–––去れ、義元殿。家臣共々な」

 

義元「……織田軍の敵を見逃すの? 君は案外、甘い男なんだね」

 

光秀「勘違いしないでいただこう。俺が甘いのは、美香にだけだ」

 

(えっ……)

 

ため息をつく横顔に、思わず見入ってしまった。

 

義元「光秀殿の口から、そんな台詞が聞けるとはね。–––わかった、ここは引くとしよう」

 

(よかった……!)

 

義元「でも、光秀殿に見逃してもらうからじゃない。どうやら俺も、美香には甘いみたいだ」

 

(義元さん……?)

 

花が咲くような笑みを私に向けて、義元さんは刀を収めた。

背後の家臣たちに、どよめきが起こる。

 

今川家の家臣「敵に情けをかけられて逃げるおつもりか!? 今度という今度は見損ないましたぞ! 死んでも今川家の誇りを守らねば!」

 

義元「命を粗末にする人間に、誇りを語る資格はない!」

 

今川家の家臣「…………っ」

 

厳しい一喝で、家臣たちが押し黙る。

 

義元「今のは、俺自身への戒めだよ。こはる、ありがとう。君に出逢えてよかった。いつかきっと、君にまた逢いに行くよ」

 

光秀「来なくていい」

 

義元「どうか元気で」

 

光秀さんの言葉には応えず、義元さんが背を向ける。

 

「義元さんも、元気で……!」

 

義元さん率いる今川家の一団は、戦の騒ぎに紛れ、煙の向こうに姿を消した。

そして–––

 

秀吉「勝負、あったな」

 

本能寺の火は消され、夜の静けさが戻ってきた。

将軍が見捨てて逃げた兵たちが、無惨に倒れ伏している。

 

(織田軍が、勝ったんだ……)

 

安堵はしても嬉しさは湧かず、砂を噛むような虚しさが胸に広がった。

 

光秀「…………」

 

刀を鞘に収める光秀さんの顔にも、明るさはない。

 

(将軍は味方を残して、逃げた。そんな人のためにこの人たちは、命がけで、最期まで……。あの人は、どこまで人の命を軽く扱うの)

 

兵たちの弔いを終えたあと、信長様は傷だらけのみんなの顔を見渡した。

 

信長「–––大儀であった」

 

秀吉・政宗「はっ」

 

光秀「政宗、思ったより到着が遅かったな」

 

政宗「再会して第一声がそれか。相変わらず口の減らない男だ。留守番を任せた家康と三成が、自分たちも行くとごねて手間取ったんだよ。お前の口車に乗って追ってきてやったんだ。感謝しろ」

 

光秀「無論、感謝している。お前にも、信長様にも、秀吉にも。……美香にもな」

 

秀吉「御託はいらねえ」

 

(秀吉さん……)

 

怒りをあらわに、秀吉さんが光秀さんの肩を荒々しく掴んだ。

 

秀吉「光秀、お前には、聞きたいことが山ほどある」

 

光秀「悪いが、明日にしてもらえるか?」

 

秀吉「いつもみたいにうやむやにして誤魔化すつもりだろうが、今度ばかりは……!」

 

光秀「そうじゃない。少しばかり、疲れてな」

 

食えない笑みを浮かべて呟いた直後、

 

秀吉「!?」

 

光秀さんの身体が、ぐらりと揺らいだ。

 

信長・政宗「光秀!」

 

「光秀さん……!?」

 

光秀「ん……」

 

「光秀さん……!」

 

光秀「美香……?」

 

布団に横たわった光秀さんが薄く目を開くのを見て、張り詰めた心が緩んでいく。

 

(よかった、意識が戻った……!)

 

枕元に座って寝汗を拭い続けて数刻–––もう夜明けが近い。

 

光秀「俺は……昏倒して、そのまま眠っていたんだな」

 

「はい……。ここは本能寺の一室です。秀吉さんが担いできて、布団に寝かせてくれたんですよ」

 

光秀「やれやれ、あれほど怒り狂っていたくせに……。あいつは骨の髄まで世話焼きだな」

 

くす、と笑い、光秀さんが身体を起こす。

 

「寝ていてください、他のみんなも休んでますし……」

 

光秀「そう言うな。横になっていては、お前の顔がよく見えないだろう」

 

ひんやりとして滑らかな手のひらが、私の頬を包み込む。

 

(……っ)

 

光秀「怪我はないようだな。何よりだ」

 

噛みしめるように囁かれ、涙が溢れた。

 

(この手がずっと、恋しかった……)

 

光秀「泣き虫だな、お前は」

 

「誰のせいですか……っ」

 

涙を拭ってくれる指先を、きゅっと握る。

 

「無茶をしすぎです。安土を出てから、まともに休みを取ってないんでしょう……っ?」

 

光秀「そうでもないぞ」

 

「……嘘ばっかり」

 

どんな時でも隙を見せないこの人が倒れるなんて、よほど心身を酷使していた証拠だ。

 

「……光秀さんはずっと前から、将軍の罠に気づいてたんですね」

 

光秀「…………」

 

「織田軍を裏切ったように見せかけて、たった独りで、戦い続けてきたんですね……」

 

光秀「それは……」

 

「今夜は、嘘をつかないで下さい。……お願いですから」

 

光秀「……なかなかに交渉がうまくなった。俺の指南のお陰だな」

 

遠回しな肯定だけれど、私の胸を震わせるには充分だ。

 

(初めてちゃんと、答えをくれた……)

 

「どうしてあなたは……汚名を着せられてまで、独りで戦うんですか? 織田軍のみんなに頼ることは、出来なかったんですか……?」

 

光秀「内部に間諜が入り込んでいると、予想がついていたんでな」

 

「だからって、身近な人にさえ一切話さないのは……寂しいです。秀吉さんなんて、光秀さんの本音を聞くために、牢にまで会いに来たのに」

 

光秀「あったな、そんなことも」

 

ーーーーーーーー

秀吉「……やりきれねえほど腹が立ってるんだよ。意地でも俺に『手を貸せ』と言わないお前に。こんなことになっても……まだどこかで、お前を信じたがってる自分にもだ」

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「せめて秀吉さんや信長様たちには、真実を知らせてもよかったんじゃないですか……?」

 

光秀「無理だな。まず、あのお人好しは、策略にも駆け引きにも向いていない。うまい嘘をつく能もなく、馬鹿がつくほど真っすぐで……家臣に慕われ、民に愛されている。あいつにはこのまま、陽の当たる道を堂々と歩いていってもらわなければ困る」

 

(え……)

 

光秀「そして、信長様は……、天下布武を成すため、歴史の表舞台で、ご自分の手を充分過ぎるほど血で染めている。舞台裏くらい、俺に仕切らせてもらわなければな。政宗、家康、三成、蘭丸……あいつらも、汚れ仕事は似合うまい」

 

凛とした笑みに、言葉を失う。

 

(私、この人のこと、まだまだ全然わかってなかった……)

 

光秀さんは自ら進んで、たった独り闇の中を歩むことを選んだのだ。

織田軍のみんなが、光の中を進んでいけるように。

 

「どうして、そこまで……? そうまでして光秀さんが貫こうとしている義って、一体、何ですか……?」

 

光秀「–––太平の世を、築くことだ」

 

(太平の、世……)

 

光秀「信長様が台頭するより前、日ノ本は今以上に乱れ……暮らしは、寒酸に満ちていた。人の命は、羽より軽かった。……身分がない者は尚さらな。あのような世が再び訪れることは……俺にはとても、耐えがたい」

 

伏せられた瞳は、記憶の中の光景を見つめているようだった。

 

光秀「言っておくが、俺は別に、信長様や織田軍のために戦っているわけじゃない。とうに知っていると思うが、善人でもない。何もかも、俺自身の望みのためだ。信長様が天下布武を成したその時、長き乱世がようやく終わる–––。そのためなら、喜んで俺は歴史の歯車になる」

 

(そんな……っ)

 

「独りで泥をかぶって、裏切り者だとみんなに思われても、ですか……!?」

 

光秀「ああ、たいしたことじゃない」

 

「誰にも本当の思いを知られずに、悪人として命を落とすかもしれないんですよ……!?」

 

光秀「望みが叶うなら、安いものだ」

 

迷いのない笑みに、呆然と見入ってしまった。

 

(これが、光秀さんが隠し続けてきた本心……)

 

どんな人生を送ってきたか、光秀さんが話したことは一度もないけれど……

読めない瞳の奥にはきっと、語られない壮絶な過去がある。

暗闇を歩み続けながら、光秀さんは心の底で、温かな光を灯し続けてきたのだ。

 

(こんなにも強くて、大きな人、私じゃ到底、釣り合わない。……でも、この人を、闇の中でひとりぼっちにしておけない)

 

衝動に任せ、光秀さんの首に腕を回して胸にかき抱く。

 

光秀「…………」

 

「信長様が私にあなたを離すなと命じたわけが、よくわかりました。あなたは……自分を大事にしないから」

 

光秀「まあ、優先順位がそう高くないことは、事実だな」

 

(そんなふうに、あっさり言ってしまわないで)

 

ひどく胸が痛み、抱きしめる腕に力がこもる。

 

光秀「……美香。お前に帰るべき場所があることは、わかっている。安土を去る夜、別れを告げてしまおうかと思ったが……言えなかった。参ったな。……お前には、心を偽ることが出来ない。俺は、どうしようもなく、お前が可愛い」

 

低く潤った声が、じんわりと身体じゅうに沁みていく。

(……嬉しい……)

 

光秀「俺は今後も、生き方を変えるつもりはない。それでも……お前に、そばにいてほしい」

 

(っ、私も……)

 

「私も、あなたのそばを離れたくないです……! この先ずっと。元の世には、帰りません。あなたと一緒に、この時代を生きたいから」

 

(これほどの恋は、二度とない)

 

寒酸の果てに、光秀さんは命をかけてでも叶えたい望みを見つけた。

だったら決して邪魔しない。ただ、そばにいて……

望みが叶ったその時は、光秀さんを暗がりから連れ出したい。

この人が本当はどんなに優しいか、世界中に知らせて回りたい。

 

光秀「お前がいいと言うなら……もう、離してはやらない」

 

切なげな眼差しが真っすぐに届き、きつく抱きしめ返される。

 

(光秀さんの心を、やっと、捕まえた……)

 

世界で一番大切な人を腕の中に閉じ込め、笑みが溢れた。

 

「私だって、もう、離しません」

 

光秀「ありがとう」

 

微笑み合って、どちらからともなく唇を重ねた。

今までで一番、穏やかで、温かなキスだった。

 

「–––それじゃ、今夜はもう寝てください。身体を休めないと」

 

光秀「そうするか。早々に体力を取り戻して、お前を可愛がるためにもな」

 

(え……っ)

 

鼓動がドクっと跳ねて、思わず黙り込んでしまった。

そんな私を見つめる光秀さんは、この上なく楽しげだ。

 

光秀「とはいえ、添い寝くらいは許されるだろう?」

 

「っ……はい」

 

(私も、光秀さんに触れていたい。いくらでも抱きしめていたい)

 

優しく抱き寄せられ、布団にくるまる。

光秀さんの腕枕は、しっくりと馴染んだ。

 

(そうだ……)

 

「光秀さん、大事なことを言い忘れてました」

 

光秀「ん……?」

 

「……大好きです」

 

光秀「言わなくても、お前の顔に書いてある」

 

光秀さんはにやりと笑い、私の額に唇を押し付けて、そのまま目をつむった。

ドキドキと、心臓が鳴り続けている。

 

(初めは、考えを言い当てられることが怖かったのにな。今は……光秀さんに見透かされることが、嬉しくてたまらない)

 

やがて、穏やかな寝息がすぐそばで聞こえ始めた。

この世のどんな音楽よりも、私の耳には心地よく響く。

得難い音色に、鳥の鳴き声が重なっていく。

長い夜が明けたのだ。