戦国【光秀】情熱11話 前半
将軍足利義昭との戦いから一夜明け、織田軍を見送った後–––
私と光秀さんは真っ先に、とある豪華なお屋敷へと向かった。
(ここが、将軍が根城にしていた場所……)
異様な静けさが、私の身を縮ませる。
光秀「どうやら、もぬけの殻らしい」
ためらいなく奥へと進む光秀さんの、背中だけを見て歩く。
昨夜私を包み込んだ温もりを思い返すと、不安は簡単に消えた。
(大丈夫。私はこの人と一緒に、乱世を生きていくって決めたんだ)
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光秀「このまま見逃せば、義昭様は同じような罠を仕掛けてくるに違いありません。信長様が自分を手にかけることはできないことを利用し、何度でも」
秀吉「絶対に帰ってこい。死んだら冥土まで追いかけて、今度こそお前をぶっ飛ばす」
信長「光秀。貴様が死に、秀吉まで冥土へ赴くとなれば、俺は両腕を失うことになる。必ず戻れ」
政宗「待ってるのは、秀吉と信長様だけじゃないぞ。家康と三成、蘭丸も待ってる。帰ったら俺が、うまい飯をたらふく食わせてやる」
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(必ずふたりでみんなのそばに帰る。そして……光秀さんを、明るい場所に連れ出す。そのためには、あの人を倒すしかない。光秀さんはずっと独りで戦ってきた。無茶をしないための足かせ、それが私の役割だけど……、この人のために、もっと力になれることがあればいいのに)
暗い屋敷の廊下を見渡しながら、切実にそう思う。
「……見つかるでしょうか? 将軍の行方の手がかり」
光秀「望み薄だろうな。だが、調べずにおく手はない。問題を解決する手がかりは、わかりやすい形をしているとは限らないものだ」
(たしかにそうだな)
光秀さんが脱獄した直後、御殿の中を蘭丸くんと調べた時のことを思い出す。
残された文書が何もない–––その事実自体が、光秀さんの本心に近づく手がかりになった。
(それにしても静かだ。将軍の後ろ盾になっていたお屋敷の人たちはどこへ……?)
光秀「…………」
奥の間の前で、光秀さんは襖に手をかけ、ふと動きを止めた。
「光秀さん……?」
光秀「美香、一歩下がって、俺の背中に隠れていろ。いいな?」
「はい……!」
ふっと微笑んで見せてから、光秀さんが朗々とした声を響かせる。
光秀「–––頼もう。主人はいるか?」
襖を開け放った、次の瞬間–––
???「うおおお……!」
(きゃっ!?)
光秀さんは即座に抜刀し、振り下ろされた刀を弾き返した。
飛びかかってきた男性は、畳にどかっと倒れ込んだ。
光秀「やはりここにおられたか、主人」
(この人が、将軍をかくまってた人……!)
豪華な着物に身を包んだ屋敷の主人は、目を血走らせて光秀さんを睨み上げた。
屋敷の主人「裏切り者め、のこのこ戻ってきおって! 義昭様の行方は断じて言わんぞ!」
光秀「言わないのではなく、言えないんだろう?」
屋敷の主人「な……っ」
光秀「あの方は世話になったあなた方を見捨て、尻をからげて逃げた。違うか?」
屋敷の主人「よ、義昭様を愚弄するな……!」
顔を赤黒く染め、主人が刀を手に立ち上がる。
(光秀さんの言葉、図星だったんだ)
屋敷の主人「お前が義昭様の行方を掴むため、手がかりを求めてここへ来ることはわかっていた! 屋敷の者には暇を出した。本能寺であのお方のお役に立てなかったこの命、今こそ捨て時……!」
(捨て時って……っ)
主人が刀を大上段に構え、再び光秀さんに斬りかかる。
光秀さんは間髪入れず、相手の胸に蹴りを放った。
屋敷の主人「くは……っ、げほっ、げほ……!」
横倒しになった主人は、容赦のない一撃に息が出来ないらしく、喉を押さえて転がり回る。
光秀「そこまでにしておくことだ。あの方とは金輪際、関わるな」
屋敷の主人「……っ、かくなる上は」
震える声で吐き捨てた主人の手に、懐剣がギラリと光る。
(……! 駄目!)
主人が自らの喉をつく寸前、光秀さんが彼の手首を掴んで止めた。
光秀「良いことを教えてやろう。あなたの死を知ろうと、義昭様は泣きも怒りもしないぞ。眉ひとつ動かさず、あなたの名すら思い出さない」
屋敷の主人「私ごときの命、高貴なるあのお方に気にかけていただこうなどとは思わん……!」
光秀「ほう、おかしなことだな。そんな相手のために死にたがるとは」
光秀さんはにやりと笑うと、相手を引き倒し、両手首を容赦なく踏みにじった。
(う……っ)
屋敷の主人「ぐああ……!!」
光秀「己の寿命を放り出すくらいなら、その分の年月を研鑽に費やし、腕を上げてこの俺を殺しに来い。いつでも相手になってやろう」
屋敷の主人「……っ、明智光秀、許すまじ……!」
光秀「おやおや、まだ口を利く元気があるか。仕上げが必要だな」
屋敷の主人「や、やめろ、うわあああ……!」
腹を蹴り上げられ、悶絶したあと、主人は気を失って動かなくなった。
彼を放置し、光秀さんが私を振り向く。
光秀「さて、行くか、美香」
「は、はい……!」
…………
光秀「やはり無駄足だったな。付き合わせて悪かった」
「……いえ」
(不思議。あんな光景を見た後なのに、心が静かだ……)
光秀「『ひどいことをする』と、俺をなじらないのか?」
「なじってほしいんですか?」
光秀「それはそれで悪くない。やり返す楽しみができる」
「そうなったら徹底抗戦です。でも……」
軽口に軽口で応えてから、光秀さんの手を、ぎゅっと握る。
「私があなたをなじることはないですよ。少しはわかるようになりましたから。光秀さんの考えてること」
光秀「……そうか」
それ以上何も言わず、光秀さんは私の手に指を絡めた。
(光秀さんが屋敷へ戻ったのは、手がかりを探すためじゃなくて……将軍に置いていかれた人のためでもあったんだ。主人の手を怪我させたのは……私たちが去った後も自害できないようにするため。自分を恨むように仕向けて、復讐という生きる理由を、あの人に与えた)
嘘と笑顔で本音を隠しながら、光秀さんは一体、どれだけ多くのものを守ってきたんだろう。
(知れば知るほど愛しくなって……同じ分だけ切なくなる。この人の選んだ生き方は、あまりに厳しい)
胸が痛んで、俯いてしまいそうになるけれど–––
(……違う。私に出来ることは、もっと他にある)
息を吸い込み、心にかかるもやを追い払って、顔を上げる。
「光秀さん、そろそろ一息入れませんか?」
光秀「ん……?」
「たしかこの先に食事処があるんです。行きましょう!」
返事を待たずに、繋いだ手を引いて歩き出す。
(光秀さんは何もかもを覚悟の上で、暗闇の中を歩んでる。だったら私は笑っていよう。厳しい道行きが少しでも、明るいものになるように)
「さあ、将軍探しの旅に出る前に、美味しいものをたくさん食べて力をつけましょう!」
光秀「こんなにあれこれ頼まなくとも、腹に入れば同じだろう」
目の前のお盆に目を遣り、光秀さんが肩をすくめる。
山盛りの炊き込みご飯に根菜の煮物、菜っ葉のお浸し、焼き魚、お吸い物……皿が所狭しと並んでいる。
「こうして色んな料理を頂くと、目も舌も楽しいですよ」
光秀「俺は食事に楽しさを求めたことが、ついぞなくてな」
気乗りしない様子で、光秀さんはお箸を手に取る。
面倒くさそうな顔で魚の身を綺麗にほぐすのを、私はじっと見守った。
(たっぷり栄養を取ってもらおう。光秀さんは平気そうに振る舞ってるけど、昨日倒れたばかりだから)
「無理はしなくていいですけど、できればたくさん食べてくださいね」
光秀「さては美香、俺を肥え太らせて、取って食うつもりだな?」
「っ、そんなことするわけ……」
光秀「まあ、お前の可愛い唇に食われるのなら本望だ」
(え……っ?)
流し目で微笑んでみせながら、光秀さんは里芋を口に放り込む。
「……っ、急に変なこと言わないでください」
光秀「照れることはないだろう? 一体、何を想像したのやら」
くす、と笑い、今度はお吸い物のお椀を一息にカラにした。
(……なんだか懐かしいな、この感じ)
「相変わらず、意地悪ですね」
光秀「意地悪をされると承知で、俺のそばにいることを選んだんだろう?」
光秀さんが椀を置き、隣り合って座る私の膝に手のひらをそっと乗せる。
ただそれだけで、ぞくり、と甘い痺れが肌を走った。
軽く触れたその先を、否応なく想像させられて。
(この人は、甘い意地悪をする天才だ……)
「なるべく……お手柔らかにお願いします」
光秀「そうだな、お前に逃げ出されては俺も困る。この先、時間をたっぷりかけて、少しずつ……可愛いお前をいじめてやるとしよう」
長いまつげを伏せて、大好きな人が笑う。
いつまでだって、こうして見惚れていたい。
(……改めて感じる。光秀さんが、そばに帰ってきてくれたんだって)
膝に置かれた手に手を重ね、切れ長の瞳を見つめていると–––
九兵衛「その辺になさってはいかがですか? 食事が冷めますよ」
「わっ?」
突然声をかけられて、反射的に手を離す。
光秀「来たか、九兵衛」
「九兵衛さん……!?」
九兵衛「お待たせいたしました、光秀様。美香様、ご無事で何よりでした」
「どうして、ここに……!?」
光秀「俺が呼んでおいた」
(いつの間に……!?)
九兵衛「到着が遅くなり申し訳ありません。おふたりはまだ本能寺にいらっしゃるものとばかり。まさか、食事処で人目もはばからず睦み合っておられるとは思いもよらなかったもので」
「っ、すみません……」
(恥ずかしい……。さっきまでのやりとり、見られてたんだ)
耳が熱くなるけれど、光秀さんは至って平静に話を続けた。
光秀「それで九兵衛、首尾は?」
九兵衛「無論、抜かりなく」
(首尾って……?)
三人で食事を済ませると、九兵衛さんは宿へと私たちを案内してくれた。
九兵衛「今宵はこちらにお泊りください。将軍捜索に向かうための馬と荷物はすでに用意しております」
(九兵衛さん、旅支度を整えてくれてたんだ……!)
九兵衛「言っておきますが、将軍の捜索には私もついて参ります。留守番役は二度と御免です」
光秀「帰れと言おうが聞かない顔だな。まったく、主君を何だと思っているのやら」
九兵衛「私は、主に倣っているだけです」
澄まして答える九兵衛さんの肩を、光秀さんはぽん、と叩いた。
光秀「苦労をかけるな」
九兵衛「今さら何を仰いますやら」
(九兵衛さんが一緒に来てくれるなら、心強いな)
先に立って宿へと入っていく光秀さんの後ろで、私は九兵衛さんに囁いた。
「来てくれて嬉しいです。何から何までありがとうございます、九兵衛さん」
九兵衛「お礼を言うのはこちらの方ですよ、美香様」
(え……?)
九兵衛さんの表情が、ふっと柔らかくなる。
九兵衛「京であなたが光秀様のそばにいてくださると知った時は、安心いたしました。光秀様を、この先もどうぞよろしくお願いいたします」
(九兵衛さん……)
九兵衛さんが、深々と頭を下げる。
思いのこもった仕草に胸が詰まり、私も同じくらい深くお辞儀をした。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
光秀「–––ふたりして何をしている?」
「なんでもないですよ」
九兵衛「ええ、その通りです」
しれっと答える九兵衛さんと、顔を見合わせてこっそり微笑み合った。
…………
通されたのは、居心地のいい客室だった。
光秀「美香はここを使え。俺は隣の部屋で寝る」
「……わかりました。ゆっくり休んでくださいね」
(一緒にいたいけど……光秀さんには、しっかり休養を取ってもらわないとな)
「荷物の整理をしておきますね。光秀さんは夜更かししちゃ駄目ですよ?」
寂しい気持ちを隠したくて、明るくそう告げ背を向けると……
光秀「そうがっかりした顔をするな」
あっさり見透かされ、背中からぎゅっと抱きしめられた。
「……光秀さんこそ、ちょっとはがっかりした顔、してください」
光秀「生憎、顔に出ないタチでな」
(あ……)
耳に唇が触れて、熱がじんわりと移っていく。
光秀「一晩中そばにいたら、お前を抱き潰してしまうだろう。楽しみはあとに取っておくことにする。全てにケリがつくまで、良い子で待てるな?」
「……っ、はい」
早鐘のように、鼓動が鳴る。
振り向いて唇を重ねた時、襖の向こうから声がかかった。
九兵衛「お取り込み中失礼いたします」
(っ、九兵衛さん!?)
光秀「まったくだ。–––どうした?」
襖を開いた九兵衛さんは、張り詰めた表情を浮かべている。
九兵衛「おふたりに、御客人です」
(お客……?)
無遠慮に部屋へと入ってきた人影を見て、思わず声を失った。
光秀「これはこれは……」
幸村「邪魔するぞ」
佐助「夜分にごめん、美香さん」
(幸村、佐助くん……!?)