戦国【光秀】情熱11話後半
九兵衛「おふたりに、御客人です」
(お客……?)
無遠慮に部屋へと入ってきた人影を見て、思わず声を失った。
光秀「これはこれは……」
幸村「邪魔するぞ」
佐助「夜分にごめん、美香さん」
(幸村、佐助くん……!? どうしてここに……)
光秀「九兵衛、もてなしの用意を」
九兵衛「はっ」
幸村「いらねえ。こっちも気遣いするつもりはない」
警戒心を隠そうともしない幸村に対し、光秀さんは流れるような仕草で礼をした。
光秀「武田信玄公の忠臣、真田幸村殿とお見受けいたす。お会いできて光栄だ」
(『真田幸村』……光秀さんの講義で習った。幸村も武将だったんだ!)
光秀「お隣は?」
佐助「猿飛佐助と申します。上杉謙信様に仕えている忍びです。そして……美香さんの、同郷の者でもあります」
光秀「ほう……? 美香と同郷……」
佐助くんを見る光秀さんの目が一瞬、鋭い光った。
(あ……っ。今のひと言で、佐助くんも未来から来た人間だって気づいたんだ)
光秀さんは動揺したそぶりも見せず、ふたりに座るよう勧めた。
光秀「それで、ご用件は?」
佐助「昨夜本能寺で起こった一部始終を、こっそり見させてもらいました」
「佐助くん、あの場にいたの!?」
佐助「ああ。ようやく義元さんに追いついたと思ったら、戦の真っ最中だった」
光秀「義元殿を……」
幸村「あのボンクラは上杉武田の一員なんだ。勝手に出てっちまった今もな」
佐助「光秀さんとこはるさんが、義元さんたちを逃してくれたのを、俺はこの目で見ました」
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「逃げて、あなたも生きてください! 今川家のためじゃなく、あなた自身のために。あなたには、帰る場所があるでしょう!?」
義元「帰る、場所……」
「佐助くんと幸村、越後人たちが、義元さんを待ってます! だから、どうか……! あなたの背負う責任がどれほど重いものでも、そのために、命まで捨てないで……!」
義元「美香…」
光秀「–––去れ、義元殿。家臣共々な」
義元「–––わかった、ここは引くとしよう。どうやら俺も、美香には甘いみたいだ」
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煙の中に溶け去った笑顔が、くっきりとよみがえる。
佐助「隠れて後を追って居所は掴んだけど、あの人は『帰って来い』と言ってすんなり従う人じゃない」
幸村「で、お前らと取り引きするために、俺たちはここに来た」
(取り引き……?)
幸村「美香、明智光秀。義元を取り戻すためにお前らの手を借りたい」
光秀「織田軍の敵であるお前たちの元に、優れた将が戻ってくるよう手伝えと? これは面白い申し出だ。一体、こちらに何の利が?」
幸村「義昭の行き先を教えてやる」
光秀「ほう……」
(将軍の居場所を知ってるの……!?)
幸村「ついでに、俺と佐助、義元のバカも一緒に、将軍の成敗に乗ってやるよ」
決意を込めて幸村が言い切ると、佐助くんも深く頷いた。
「どうして……っ?」
幸村「お前には話しただろ。大名たちの謀反騒ぎは、織田軍側だけじゃなく越後でも起きた。待ちに待った信長との対決に水をさされて、俺たちの主君も腹を立ててんだよ」
幸村「義元は恐らく、越後まで将軍の陰謀に巻き込まれたことを知らねえ。味方を傷つけることになると知ってたら、あいつは将軍に手を貸すような真似はしなかったはずだ。将軍を倒して落とし前をつければ、あのボンボンが俺らんとこに戻ってくる理由ができる」
力強く迷いのない声に、心が熱くなる。
(やっぱり、義元さんには帰る場所がちゃんとある……)
幸村「なんでか知らねーけど、義元は美香の言うことを聞き入れて、撤退したんだろ? 説得、手伝えよ」
「うん……! そういうことなら、力にならせてほしい」
光秀「…………」
(あ……)
わずかに、光秀さんの顔が曇ったのがわかった。
(当然か。光秀さんにとっては、織田軍の敵と手を組むことになるんだから……)
「光秀さん。黙っていましたけど、幸村と佐助くんは私の友人なんです。無理を言っていることはわかっているんですが、どうか協力を……」
光秀「いや、その点は何の問題もない」
「えっ、ないんですか?」
光秀「いいだろう。この取り引き、乗った」
(あれ、案外あっさり……)
九兵衛「もう少しためらってはいかがですか」
光秀「ためらう理由などないだろう。俺は織田軍の裏切り者だぞ? 役に立つのなら迷わず手を組むさ。宿敵だろうと、親の仇だろうがな」
幸村「決まりだな」
佐助「ありがとうございます、光秀さん、こはるさん」
幸村「礼を言う必要はねー、佐助。これはあくまで対等な取引だ。光秀は将軍を倒す。俺らは義元を取り戻す。そのあとはまた、敵同士だ」
光秀さんを見据える幸村の目の奥に、抑え込まれた敵意が見える。
光秀「そうカリカリするな。ひと時とはいえ、仲間だろう?」
幸村「美香はともかく、信長の手先に心を許す気はねーよ」
光秀「ではなぜ、取り引きを持ちかける気になった? 幸村殿は、主君の命だろうと打算では動かない男とお見受けするが」
幸村「おー、その通りだ。どっかの化け狐と違ってな。お前と手を組むと思うと反吐が出そうだ。義元のバカだって、できることなら放っときてー。でも、義元は……俺の主……信玄様にとって、大事な人間のひとりだ。俺は、あの人にもう、何ひとつ失ってほしくねえ」
幸村が険しい顔で、決然と言い切る。
(信玄様という人は、幸村にとってかけがえのない存在なんだな……)
幸村「それに、あんなヤツでもいないとなると物足りねーしな」
佐助「要するに『素直に言えないけど、義元さんを大事な仲間だと思ってる』と。そういうことだな、幸村」
幸村「意訳すんな!」
佐助「とにかく、めでたく協定成立だ。明日の朝、さっそく義元さんのいる場所へ向かおう。将軍を倒す仲間になってもらえるよう、義元さんの説得をよろしく、美香さん」
「わかった!」
(この戦いの中で私でも役に立てることが見つかった……。精いっぱい頑張ろう!)
光秀「美香……」
「何でしょう?」
光秀「……いや、何でもない」
(珍しいな、光秀さんが言葉を濁すなんて)
気になって見上げても、光秀さんの顔から陰りは綺麗に消し去られている。
(光秀さんは心を見せてくれるようになったけど、隠すのがうまいのは相変わらずだ……)
幸村「夜が明ける前に宿の前で落ち合うぞ。じゃあな」
光秀「その前にひとつ」
幸村「んだよ」
光秀「義昭様の行方を、どうやって掴んだ? 義昭様はあれで、日ノ本全土に熱狂的な信奉者がいる。足取りを掴むのは容易ではなかったはずだ」
幸村「さあな。俺の主に聞けよ」
光秀「なるほど。さすが、信玄殿の情報網は侮れない」
(光秀さん以上の情報通……。相当凄い人なんだ、信玄様って)
佐助「言っておきますが、俺の主君もなかなかの切れ者ですので。どうぞよろしく」
幸村「なに張り合ってんだ」
「ふふ、思わず自慢したくなっちゃうような人の元で働いてるんだね、佐助くん」
佐助「ああ、とても立派な人だ。強いて難点を挙げるなら、突然斬りかかってくることくらいだ」
「その難点、かなり致命的だと思うよ……!?」
幸村「慣れって怖えーな」
光秀「戦狂いの軍神、謙信殿か。戦場では会いたくないお方だな」
(いつか太平の世が訪れたら……私の友だちが自慢する人たちにも、会ってみたいな)
…………
その頃、人里離れた山中、寺の一室で、三人の男が向かい合っていた。
信玄「–––まさか、お前が俺たちに情報を寄越してくるとはな、顕如」
謙信「この俺を呼びつけるなら、酒くらい用意しろ」
顕如「ここは寺だ。白湯でないだけ感謝してほしいものだな」
供された茶は、誰にも手をつけられないまま冷めようとしている。
謙信「それで、顕如。……将軍の居所を、どうやって掴んだ?」
顕如「私の優秀な忍びに見張らせていたのだ」
信玄「ああ、あの元気で可愛い子か! 昔からお前のあとをくっついて回ってたな」
顕如「義昭様は……私の同胞を己の企みのために利用し、この上なく無残な最期に追いやった。ただ殺すだけでは足りん。同胞と同じく、他人の企みに愚かにも利用された挙げ句に死んで頂く」
信玄「で、俺を通じて手を回し、明智光秀を将軍にぶつけるように仕向けて……将軍と信長の有力な手駒、両者の共倒れを狙おうと考えたってわけか」
信玄の瞳が、揺れる行灯の火を映す。
信玄「復讐のためには手段を選ばない……。すっかり変わっちまったな、お前」
顕如「そういうお前たちもふたつ返事で話に乗っただろう。さらには、己の忠臣たちを謀略に利用している。巻き添えを食って彼らが死のうと、恨みはするなよ」
信玄「勘違いしてもらっちゃ困る。俺たち目的は、奴らの共倒れじゃない。将軍を倒して取り戻さなきゃならない奴がいるんだ。家臣たちも、思いは同じだ」
謙信「見くびるな、顕如。奴らは使命を全うし、生きて戻る」
顕如「私とお前たち、どちらの思惑が勝るか……見ものだな」
…………
幸村「美香、ついて来てるか?」
「うん、平気……!」
ひと気のない山道を、どんどん奥へと進んでいく。
(この先に義元さんがいる……。遠くに行ってしまう前に追いつかないと!)
呼吸を整え一定の速度を保ちながら、湿った土を踏みしめる。
佐助「知らなかった。美香さんは体力があるんだな」
「光秀さんに鍛えられたの。まだまだ行けるよ」
光秀「調子に乗っては怪我をするぞ。止まれ、美香」
「はい……。って、光秀さん、何を……?」
目の前にしゃがみ、光秀さんはおもむろに私の脚に手で触れた。
ごく真面目な顔で、ふくらはぎを撫で上げる。
(わ……っ)
幸村・佐助「…………っ?」
光秀「やはり張ってきているな。少し休むぞ」
「……っ、お気遣い嬉しいです。ただ、急にこういうことされると、困ります」
光秀「だから、やっている」
(もう……!)
光秀「というわけで、俺の可愛い美香のために少々時間を頂けるか」
幸村「かわっ……、え……?」
佐助「美香さん、あの明智光秀と彼氏彼女の間柄に……?」
「ええっと……話してなくてごめん、佐助くん」
幸村「べ、別に、休むのは、構わねーけど……」
しどろもどろになっているのは私たちの方で、光秀さんは涼しい顔をしている。
(照れくさいけど……堂々と恋人扱いしてくれるのは嬉しいな。にしても、佐助くんには折を見てちゃんと話さなくちゃ。現代には戻らないって……)
幸村「あー……俺、ちょい水汲んでくる。くそ、なんでこっちが照れなきゃなんねーんだよ」
佐助「俺も行く。美香さんはゆっくりしていて」
九兵衛「では、私は食料でも調達して参ります」
三人が行ってしまい、光秀さんと私だけが残される。
「みんなに気を遣わせてしまいましたね……」
光秀「気にするな。無理をして先に進んで、脚を痛めるよりはマシだ」
「そのことだけじゃなくて……っ」
光秀「お前のつがいが誰か、はっきりさせておくに越したことはないだろう?」
(つがい……っ?)
光秀「言葉ひとつで虫除けができるなら、たやすいものだ」
しれっと言い放ち、光秀さんは羽織を脱いで地面に敷き、その上に私を座らせた。
この人は、さらりと言い放つ自分の言葉の威力がどれほどなのか、わかっているんだろうか。
少し考え、すぐに結論は出た。–––きっと、効果を熟知した上で、わざとやっている。
「光秀さんは意地悪だけじゃなくて……人を甘やかすのも上手ですよね」
光秀「何、お前にだけだ」
光秀さんが隣であぐらをかき、私の脚にそっと触れる。
光秀「…………」
(あれ……?)
光秀さんの表情に、わずかに苦悩が垣間見える。
(幸村と佐助くんが訪ねてきた時も、一瞬、こんな顔してた……)
「何か気がかりなことでも……?」
光秀「……まあ、あるといえば、ある」
すっと近づいてきた手のひらが、私の頬を包み込む。
感情を隠すことに長けた瞳が今は、憂いを帯びている。
光秀「美香。俺とひとつ、約束をしろ」
(約束……?)