戦国【光秀】情熱13話後半
(ここが光秀さんの治めてる国……。なんて素敵なところだろう)
水に浮かぶ美しい城が近づき、馬上からため息が漏れる。
–––京を発った私たちは、信長様の命で、安土へ帰る前にここへ立ち寄った。
文には『国が乱れていないか、ついでに確かめてから安土へ戻れ』とそっけなく書かれていたけれど、『しばし休め』という、信長様の心遣いなのは間違いない。
「のどかなとことろですね。今までの出来事が嘘みたい……」
光秀「まあ事実、何もなかったことになったがな」
隣で馬を歩ませる光秀さんに、私は小さく頷いた。
将軍足利義昭は、鞆の浦から一歩も出ることなく、今もそこで安穏と暮らしている–––
と、いうことになっている。
将軍が毒、もとい解毒剤をあおって最期を迎えた翌日、根城をあらためたところ、その亡骸はこつ然と消えていた。
将軍の使者として光秀さんと安土で密会していた側仕えの男が、痕跡を消し去ったようなのだ。
(お陰で光秀さんたちが『将軍殺し』の罪を負うことはなくなったけど……)
「側仕えの人は、どうしてそんなことをしたんでしょうね」
光秀「将軍の名と地位を守り続けることこそが、あの男の義なんだろう。たとえ主君に見放され『死ね』と言われようと、主君の命そのものが果てようとな」
「……私には、よくわかりません」
光秀「わかる必要もなければ、これ以上考える必要もない。ここにいる間、お前は羽を伸ばせばいい」
「お休みなら充分もらいました。すっかり元気になって、体力があり余るくらいです」
光秀「ほう、それはいいことを聞いた」
「え?」
光秀「寝床での手加減は、もう不要だな」
(寝床で、って……)
光秀さんに触れられた記憶が肌を通じてよみがえり、じわじわ首筋が熱くなる。
「そもそも私……手加減してほしいなんて、言ってないです」
光秀「俺が、気にする」
小声の言い訳に、甘い声が応える。
誘うような流し目に、視線を絡め取られてしまう。
(私……この目に弱い。今すぐ触れて欲しくて、たまらなくなる)
真昼に不似合いな切なさが胸を覆い、少し苦しい。
光秀「見惚れるのは構わないが、うっかり馬から落ちないようにな」
「落ちないですよ……っ」
(相変わらず余裕だな、光秀さんは……。私ばっかりこんなふうに感じてるのは、ちょっと悔しい)
平静なフリを装って、私も軽口を叩くことにする。
「……私が落馬なんてするわけないでしょう。誰に乗馬を教わったと思ってるんですか?」
光秀「はて、誰だったかな?」
「最高の指南役です。ちょっと意地悪が過ぎますけどね」
光秀「無理やり馬に乗せられて泣きべそをかいていた奴が、言うようになったな」
(あったな、そんなことも)
笑い合いながら、城門へ馬を進めると……
???「光秀様、お帰りなさいませ!」
(わぁ……!)
武士や商人、農民など、大勢の人たちが光秀さんを待ち受けていた。
光秀「長い間留守にしたな。変わりないか?」
光秀さんはひらりと馬を下り、みんなと目線を合わせる。
私もそれに倣い、国の人たちと話す光秀さんの様子にまじまじと見入った。
(安土にいる時とずいぶん違う。町の人の反応も……)
安土での光秀さんは、妖しく謎めいた存在として人を魅了する反面、恐れられてもいた。
(でも、今の光秀さんは、リラックスして穏やかにみんなと接してる。町の人たちもみんな、光秀さんを心から慕ってるのがわかる……)
光秀「どうした、美香。人の顔をまじまじと見て。口づけのおねだりか?」
「ち、違います! 人前でそういうことをポンポン言わないでください」
町人「光秀様、もしや隣のお方は……」
光秀「おっと、紹介が遅れたな。これから俺の連れ合いになる、美香だ」
(こういう時、照れずに堂々と恋人として接してくれるところ、すごく好き……)
嬉しさを噛み締め、私は集まった人たちを見回し、頭を下げた。
「みなさん、はじめまして! 不束者ですが、どうぞよろしくお願いします」
町人「こちらこそ! いやあ、おめでたい! 今夜はお祝いをせねばなりませんな!」
町の人たちはみんな、笑顔で祝福の言葉を次々にくれる。
(なんて温かい国だろう……)
光秀「美香。この国も、お前の新しい故郷のひとつに数えるといい」
「はい……!」
肩を抱き寄せられ、広い胸に頭をもたせかける。
水面を渡ってきた風が、私たちの頬を優しく撫でた。
…………
光秀さんは私を自室に案内すると、すぐに仕事のため部屋を離れた。
荷物を片付けながら、ぐるりと辺りを見回す。
(安土にある光秀さんの御殿と似てるようで、少し違う)
質素なのは同じだけれど、どこか温かみがある。
(光秀さんはきっと、本当はこういう雰囲気の住まいが好きなんだ……)
その時、襖が開いて香ばしい香りが漂ってきた。
九兵衛「美香様、長旅お疲れ様でした。お茶をお持ちしたのでどうぞ」
「九兵衛さん! 安土からこっちに来てたんですね」
九兵衛「秀吉様から頼まれまして。『光秀が美香をいじめないよう見張っていてくれ』と」
「ふふ、秀吉さんらしい」
(きっと、私たちが元気でいるか心配してくれてるんだろうな。また安土のみんなに会えるのが、すごく楽しみ……)
九兵衛「光秀様のご帰還が久しぶりなので、町の者が大騒ぎをしてご迷惑をおかけしたでしょう」
「とんでもない! 光秀さんがとても慕われてると知って嬉しくなりました」
九兵衛「意外でしたか?」
(それは……)
「正直に言うと、少し。安土の人たちの反応とまったく違いましたから」
九兵衛「……美香様にはお話しておきましょうか。あの方があれほど慕われている理由を。ただしこれは、この国を一歩出れば他言無用の、極秘事項です」
(極秘事項!? すごく気になる……!)
九兵衛「秘密をお守りいただけますね? 美香様」
「はい……!」
光秀さんが戻ってきたのは、その日の夜遅くだった。
光秀「美香、待たせたな。……ん?」
「光秀さん……!」
駆け寄って、待ちわびた人をきつく抱きしめる。
光秀「……どうした?」
「九兵衛さんに聞きました。町の人たちの多くが、どこからやって来たのかを」
光秀「……九兵衛め。ずいぶんとおしゃべりになったものだ」
呆れ顔を見上げながら、胸がいっぱいになっていく。
(私はまだまだ全然、この人の凄さをわかってなかった……)
「……以前、政宗に教えられました。比叡山焼き討ちで、あなたが何をしたのか」
光秀「…………」
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政宗「信長様が過去、比叡山延暦寺を焼き討ちしたことはお前も知ってるだろ。あの戦、直接手を下したのは光秀だ。根切りにしたのもあいつの発案だって話だ」
「根切りって……?」
政宗「皆殺しってことだ。延暦寺の広い敷地内には、生臭坊主どもがさらってきた女、子どもも住みついていた。そいつら全員、坊主もろとも焼き殺されて、骨も残らなかった。織田軍傘下の人間なら誰でも知ってる。光秀の容赦のなさをな。そんなやつが、主君の命を奪いかけた奴の手先を取り調べるのに、情けをかけるわけがないだろ」
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(だけど、真実は隠されていた)
「比叡山焼き討ちで先陣を切ったあなたは……罪のない女性や子どもをこっそり逃していたんですね。火を放ったのはその事実を隠すため。彼らが二度と戦に巻き込まれず、穏やかに暮らせるように。それだけじゃなく……この国に逃がした人たちを招き入れて住まわせてあげた」
光秀「何、土地が余っていたんでな。働き手が多いほど町は栄えるだろう?」
さらりと受け流し、光秀さんは片方の眉を上げてみせる。
(わかってはいたけど……光秀さんの優しさは、生半可なものじゃない)
九兵衛さんの話を聞いて、誇らしさと同時に切なさを覚えた。
「この国に来て、改めて思い知りました。あなたには私の知らない部分がたくさんあるって」
光秀「美香……」
光秀さんがふっと目を伏せ、私の腕をほどき身体を離した。
光秀「前にも言ったが、俺は善人でも何でもない。自分の望みのままに生きているだけだ。民は逃したが、躊躇なく坊主どもの首を刎ね、寺に火を放った。必要とあればためらわず引き金を引く。情報を得るのに効率がよければ拷問もいとわない。言うまでもなく……今夜お前を抱こうとしているこの手は、なかなかに血まみれだ」
美しい手のひらが胸にかざされ、私の身体の輪郭に沿って、上から下へと虚空を撫でる。
(……っ、触れられてはいないのに)
冷たく澄んだ瞳と声、試すような仕草に、ぞく、と肌が粟立っていく。
光秀「俺は生き方を改める気はない。考え直すのなら、これが最後の機会だぞ?」
「え……っ?」
光秀「そうだ。これからどうするか一晩じっくり考えて見るといい。お前の部屋を別に用意させよう。俺がそばにいては、落ち着いて考えられないだろう」
「なんでそんなこと……ぁっ」
ふ、と耳に息を吹きかけられ、足のつま先が縮こまる。
光秀「さもなければお前は……今夜、俺に抱き壊されて、二度と逃げられない」
口の端を上げて、光秀さんが微笑む。
滲み出る色気に、くらくらする。
光秀「わかったら、一晩俺から離れて考えるといい、美香」
(え……っ)
トン、と背中を押され、廊下へと出されるけれど–––
「っ、もう充分、考えました!」
襖が閉まる前に部屋に飛び込み、光秀さんの袖を掴んだ。
光秀「おっと。せっかく俺から逃げる機会をやったのに、また戻ってくるとは……お前もたいがい趣味が悪い」
「趣味が悪いのは光秀さんです! 今さら私が離れていくわけがないってわかってて、こんなこと……」
光秀「念押ししておくに越したことはないからな。馬鹿がつくほど純粋無垢なお前にとって、俺がふさわしい男ではないことは火を見るよりも明らかだ。俺が語った何もかもが偽りで……お前をたぶらかそうとしているのだとしたら、どうする?」
(え……?)
光秀「今後俺が、裏切らない保証などどこにもないぞ」
突き放すような言葉を並べながらも、細めた目が誘っている。
危険を承知で飛び込んでこい、と。
「その言葉こそ偽りです! 私があなたの心を疑うことはありません」
光秀「…………。お前は、ずいぶんと強くなったな」
「はい、だから……光秀さんは、私と一緒に生きることを、ためらわなくていいんです」
心を込めて、ひんやりした指先を握ると、
(あ……)
手首を掴まれ、抱き寄せられた。
光秀「では……これでお前は一生俺に泣かされることになるわけだ」
耳をくすぐる囁きに鼓動が早まり、血が脈打つのがわかる。
光秀「嫌がっても、もう逃してはやらないからな」
「望むところです」
光秀「上等だ」
同時にふっと吹き出して、真っすぐに見つめ合う。
光秀「……愛してる」
「私も……ん……っ」
口を塞がれ、何も言えなくなる。
伝えそびれた言葉を盗もうとするように、舌を絡め取られた。
「んん……、はぁ……っ」
キスだけで、身体の芯がどろどろに溶けだした。
(今夜はこれまで以上のことを……この人に、されるんだ)
自分がどうなってしまうかわからなくて、少し怖い。でもそれ以上に、
身震いするほどの期待が、胸のうちでふくらんで弾けそうだ。
帯を緩められ、着物の襟が肩から滑り落ちる。
「……あっ」
かり、と淡く歯を立てられた肌が、痛いほどに疼く。
なだめるように噛み痕を舌でなぞり、光秀さんは私の体温を上げていく。
「っ……あの……わた、しも……」
光秀「……いい心がけだ」
ふ、と熱い息をつき、光秀さんが自分の帯に手をかける。
もどかしげに着物をはだけると、私の顔を固い胸板に押し付けた。
(心臓の音、すごく速い……)
「ん……、んん……」
顎に手を添えられ、導かれるままに、しなやかな首をそっと唇で食む。
光秀「……っ」
頭上から苦しげな吐息が漏れてくることが、たとえようもなく嬉しい。
(光秀さんも……気持ちいいって、思ってくれてる……)
同じ感覚を分け合っている喜びに、笑みがこぼれる。
「……ふふ」
光秀「……煽りすぎだ、馬鹿娘」
息をひとつ吐く間に、ゆっくりと押し倒され–––
(あ……っ)
脚を押し開かれて、着物の裾がはしたなく乱れた。
「光秀さん、待……」
光秀「『待て』……? 馬鹿を言え。逃げ出さなかったのはお前だろう? 時間切れだ」
太ももの内側に薄い唇が押し当てられ、やんわり歯を立てられる。
「ゃ……っ、あ……」
きつく吸い上げられ、膝ががくがくと震え、止まらない。
長い指先は、皮膚の薄いところを的確にたどって、肌をゆるりと滑っていく。
「あぁ……っ」
口元を押さえても、否応なしに声がこぼれた。
(っ……恥ずかしい……のに……、目が、離せない)
本能のまま情欲をむき出しにした目が、私だけを見ている。
一片の余裕もなく、いくつも口づけの痕を残していく。
何事にも動じないこの人が今、とめどなく湧き起こる荒々しい熱に、抗えないでいるのがわかる。
(同じ、なんだ。触れたくて仕方ないって、思ってくれてるんだ……)
光秀「–––いくらこうしても、足りそうにない」
呟きとともに溢れたため息が、肌をくすぐり……
舌先の這う感覚に、腰がびく、と揺れた。
それを追って長い指先もうごめいて、私をぐずぐずに崩す。
光秀さんの触れ方は、淡く優しく、なのに容赦がなくて、私の力を奪っていく。
「ぁ、ああ……っ」
(っ、また、私ばっかり……)
反論は言葉にならず、甘い熱に冒されて–––
さらさらの髪に指を埋め、ただ、されるがままになった。
「ん……、ふ、ぁ……」
光秀「……可愛い声で泣くな、お前は」
やがて–––短い叫びが、否応なく溢れた。
「光、秀さん……」
くったりした手で、光秀さんの頭を胸に抱き寄せる。
覆いかぶさってくる重みが、泣きそうなほど心地いい。
光秀「……ああ、参るな」
(え……?)
光秀「こうして、お前を抱いていると思うと……言葉もない」
切なげな笑みに、喉がきゅっと狭くなる。
何も言わずに思い切り抱きしめて、自分からキスをした。
(私も……言葉じゃ、言えない)
隙間なく身体を重ね合い、口づけが深くなる。
かつて感じたことのないほどの熱が、私の全身を包み込んだ。
光秀「美香……」
聞いたことのない掠れた声、恋い焦がれていることを隠そうともしない瞳、余裕をなくした指先……
欲しいものが今、全部ここにあった。
(『好き』『大好き』『愛してる』『あなたが欲しい』『あなたがいないと生きていけない』–––どんな言葉も、この愛には足りない)
「……光秀、さん」
光秀「……ああ。美香……」
「……はい」
お互いの名前が、愛を告げる言葉そのものに変わる。
とどまることなく上がる熱を混ぜ合わせ、私たちはひとつになった。
(この世界を、選んでよかった……)
–––そしてまた私たちは、飽きもせずお互いを求め合い、お互いを与え合う。
きっと、この先も何度だって。
闇の中を歩む永い永い旅路。それはいつ終わるとも知れないけれど–––
これからは、お互いがお互いを照らす光になる。
迷うことなく堂々と歩いていける。–––あなたとふたり、どこまでも。