戦国【佐助】幸福11話後半
謙信「気が変わった。契約など知るか。お前は俺が磨き上げた名刀……手放すくらいなら、この手で叩き斬って終わりにしてやる」
佐助「え……?」
信玄「謙信、お前、何を言って……」
謙信「佐助、覚悟!」
佐助「!!」
即座に謙信様が刀を抜き放った。
(謙信様!? どうして……っ)
襲いくる姫鶴一文字を、佐助くんが背中の刀を抜いて受け止める。
佐助「く……っ」
謙信「幾度も俺と刀を交えてきたお前ならわかるだろう? 俺がお前を、本気で殺す気だと」
佐助「おやめください、謙信様。あなたは戦狂いですが、約束を違えるような人じゃ……っ」
謙信「続きは、刀で語れ」
二色の瞳が殺気を溢れさせ–––
ガキン–––ッ!
佐助「……っ」
「謙信様、一体どうして……!」
信玄「危ない、美香!」
「きゃ!?」
振り向いた謙信様の刃が、駆け寄ろうとした私にまで襲いかかる。
とっさに信玄様が私の腕を引き、距離を取らせた。
信玄「あいつ、俺たちの声が聞こえてない。近づくものを全員斬る気だ」
(そんな……!)
義元「佐助が本気で応じるまで、謙信は止まらないだろうね……」
(佐助くんは謙信様との別れを本気で悲しんでるのに……こんな結末ってないよ!)
一方的に斬りかかる謙信様の攻撃を、佐助くんは必死に防ぎ続ける。
佐助「謙信様……」
傷は負っていなくても、佐助くんの心が血を流しているのがわかる。
(ふたりは私から見ても、信頼関係で結ばれた主従だった。なのに別れ間際に殺気を向けられるなんて、あんまりだ)
謙信様の刃が狙いすましたように日差しを照り返し、佐助くんが眩しげに目を細める。
佐助「っ……!」
一瞬、動きを止めた佐助くんの胸元に、磨き上げられた刃が突き立てられそうになり……
「もうやめて……!」
たまらず叫んだその時–––
ガキン–––ッ!
謙信「!?」
幸村「……そこまでです、謙信様」
佐助「幸村……!」
飛び込んだ幸村が佐助くんを背に庇い、抜いた刀で謙信様の凶刃を受け止めていた。
幸村「今のうちに美香を連れて行け、佐助!」
佐助「でも……!」
幸村「俺の腕は知ってんだろ? 早くしろ!」
「幸村……っ」
戸惑う私たちを幸村が睨みつけた。
幸村「行けっつってんだろ!」
佐助「っ……恩に着る」
佐助くんは謙信様のそばを離れ、私の手を取り走り出す。
謙信「行かせるか!」
幸村「あんたの相手は俺がする!」
ガキン–––ッ!
激しい金属音を背中で聞いて、唇を噛んで、走る。
佐助くんと痛いくらい握りあった手が、お互いの悲しみを伝え合う。
(幸村、ありがとう……っ、謙信様、ごめんなさい! 信玄様、義元さん……、皆、みんな、どうか元気で……!)
佐助くんと私はこうして、上杉武田軍と別離の時を迎えた。
–––ワームホールが開くまで、あと二週間。
…………
美香と佐助の姿が見えなくなった頃……
幸村「もう十分でしょう、謙信様」
謙信「……っ」
謙信は力任せの斬撃で幸村の刀を払ったあと、攻めるのをやめた。
幸村「あんたは、佐助が帰るのをためらってたから……迷いを断ち切るために、こんなやり方で佐助とこはるを送り出したんでしょう」
謙信「…………」
幸村の問いかけに、謙信は直接答えず、刀を鞘に収める。
謙信「……猿飛佐助は今、死んだ。俺の前で二度と奴の名を口にするな。美香も同様だ」
幸村たちに背を向ける謙信を、信玄は追いかけ、その肩をぽんと叩いた。
信玄「謙信。帰ったらとっておきの黒蜜きなこ団子を食わせてやる」
謙信「いらん」
義元「……不器用だね、謙信は」
去っていく謙信に、義元は痛ましげな表情を浮かべる。
幸村「佐助にもきっとわかっただろ。あれが謙信様なりの、はなむけの挨拶だって」
義元「幸村は? あんな別れ方でよかったの?」
幸村「……どんな別れ方したって、よかったなんて思えねーよ。佐助も同じに決まってる。……佐助も美香も、そばにいるのが当たり前になってたんだ」
義元「そうだね……」
寂しさと苦しさが入り混じった表情で、幸村はわずかに目を伏せた。
…………
同じ頃–––両軍の会合が行われた場所からほど近い森の奥。
少数の手下と身を潜めていた元就のもとに、駆けつけた男がいた。
元就「あぁ? 堺の港が封鎖されただと!?」
元就の手下「へい、頭。信長の命令だそうで……っ」
元就「……信長ァ……!」
苛立ちのままに吠え、かじっていたザクロの実を投げうった元就に、手下がビクッと身を縮める。
元就「これから面白くなるとこだってのによ……。台無しじゃねえか、あぁ!?」
元就の手下「ひ……っ」
元就のまわりに集っているのは、元は海賊をしていた屈強な男たちだ。
けれど、いきりたつ元就の前に、誰もが皆、なすすべもなく怯えるばかりだった。
元就「……悪い悪いお前ら、ついカッとなっちまってよ」
彼らへ振り向くと、元就は鬼神のような表情をふっと崩し、危うい笑みを浮かべる。
元就「安心しろ、このままじゃ終わらせねえ。……終わらせられるわけがねえ」
赤子をあやすような穏やかさが、余計に狂気を際立たせ、手下たちを震え上がらせた。
元就「くく……っ。取っておいた切り札を使う時が来たらしい。……両軍の会合に、たったひとりだけ女が同席してたこと、お前らに話したな?」
手下たち「「へ、へい……」
元就「あの女、信長の気に入りなんだとよ。それだけじゃねえ、上杉武田の寵愛まで受けてるって話だ。……使わない手はねえよな?」
喉を鳴らして笑う元就は無造作に、転がったザクロに足を乗せる。
ぐしゃり、と音を立てながら、塾した実が潰れていく。
真紅の果汁が溢れて地面を黒黒と濡らすのを、手下たちは息を呑んで見守った。
…………
佐助「町にたどり着けなかったな。今夜はここで野宿しよう。申し訳ない、美香さん」
「ううん。私に合わせてもらってるから進むのが遅くて、こっちこそごめん」
佐助「いや……。俺も、少しゆっくり歩いて考えたい気分だったから」
(佐助くん……)
夜の静けさの中、ふたりでたき火を囲む。
パチパチとはぜる火を眺めているのは今朝と同じなのに、とても寂しい。
(佐助くんと一緒にいられて嬉しい。でも……)
佐助「……今頃、皆も野営してる頃だな」
「そうだね……」
淡々と佐助くんが言葉を続ける。
佐助「きっと、謙信様が酒を持ち出して、信玄様が甘い物も欲しいって言い始めて」
「うん」
佐助「くつろぐ義元さんが優雅に盃を傾ける横で、幸村が皆に『ほどほどにしといてくださいよ』って…たぶん呆れ顔をしてる……」
「……うん」
私も同じように織田軍の様子を思い浮かべる。
「織田軍もきっと野営の真っ最中だろうね。政宗のおいしいごはんを皆で食べて……」
佐助「うん」
「光秀さんが秀吉さんをからかって怒られて、家康が三成くんのくせっ毛をこっそり引っ張って」
佐助「信長様はそんな皆を、上座で黙って見守ってるんだろう」
「蘭丸くんは……起きられるようになってるかな。そうしたら、皆に『お帰り』って言われて、もみくちゃにされるね」
佐助「九十九パーセント、間違いない」
佐助くんと顔を見合わせて微笑み合う。
(簡単に目に浮かぶ。すぐそこに皆がいるみたいに)
想像するのは楽しいけれど、すぐに同じだけ寂しさがこみあげてくる。
(私でさえこんな気持ちになるのに……)
ーーーーーーーー
謙信「俺との契約を終える時が来た–––そう言いたいのか、佐助」
佐助「はい。……国元へ帰ります。今までお世話になりました」
謙信「佐助。それがお前の、真の望みか?」
佐助「…………」
ーーーーーーーー
(佐助くんは残りたいんじゃないのかな。皆のそばに。戦国時代に。この、満天の星の下に)
「佐助くん、もしかして……」
佐助「ん?」
(尋ねたい、けど……)
言葉にしてしまったら、引き返せなくなる。
(乱世に残れば佐助くんは、忍びとしてこれからも命がけの戦いに身を投じることになる)
質問を呑み込み、ぎこちなく目を逸らす。
「……銃で撃たれた時の傷、見せて。薬を塗り直すよ」
佐助「ありがとう。もうそれほど痛みはないけど、助かる」
「ちょっと待っててね」
湖の澄んだ水を汲み、薬草で作った軟膏を塗って手当をする。
(痛くないなんて、佐助くんは言うけど……)
いまだに残る傷跡は生々しい。
佐助「美香さん、包帯の巻き方がすごく上達してる。もしかして練習した?」
「うん。春日山で大勢の怪我人が運ばれてきた時に、少しでも役に立てるようにと思って」
佐助「そうだったのか……。知らなかった」
包帯を巻きながら、佐助くんの身体に薄っすら残るいくつもの古い傷跡が気になった。
「この傷は、忍者になるための修行で……?」
佐助「ああ。謙信様はスパルタだから。同時に義理堅い人で、俺に根気よく付き合ってくれて、無事に忍者として就職できた」
佐助くんは懐かしそうに、目を細める。
(私と一緒に現代に帰る、そのために佐助くんは四年間を捧げてくれた。とびきり強い忍者になって乱世を生き抜いてきた。もしもこの時代で生きる選択をしたら……佐助くんはこの先も、戦いから逃れることはできない)
いつ命を落とすかわからない世界で、私は佐助くんと恋に落ちてしまったのだと、今さら実感してしまう。
「……佐助くんにお願いがあるんだけど」
佐助「お願い?」
「手をつないでくれる?」
佐助「こう?」
佐助くんは私の差し出した手を、すっぽりと包むように握ってくれた。
佐助「……不思議だな。君の手は俺に比べて華奢なのに、どうして触れるだけでこんなに安心するんだろう」
節くれ立った固い指が、優しく私の指に絡められる。
(温かい……)
夜のひんやりとした空気の中、佐助くんに触れれば、確かな体温を感じる。
(もしもこの温もりを失ってしまったら–––そんな世界、想像もできない)
私が織田軍との交渉役を買って出た時に、怒ってまで止めた佐助くんの気持ちを、今になって痛感する。
「ねえ、佐助くん。朝、私に何かあったら自分を許せないって言ってたでしょう?」
佐助「ああ」
「私も……同じ気持ち。佐助くんに安全な場所にいて欲しい。現代に戻って、戦いなんかない平和な世界で、何の心配もなく暮らして欲しい。私も……あなたより大事なものがなくなってしまったから」
佐助「美香さん……」
声が震える私を、佐助くんが腕の中へ抱き込んだ。
佐助「ありがとう。一緒に帰ろう。そのために、俺たちはここまで来たんだ」
間近から見つめ合う佐助くんの茶色の瞳は澄み切っている。
けれどその奥に、未練と寂しさが浮かんでいた。
(望遠鏡なんかなくなって、隠された想いを、今なら簡単に感じ取れる。どうしようもないほど佐助くんを好きになってしまったから)
抱きしめられている今、お互いの速い鼓動の音がはっきりと伝わる。
(でも……このまま皆とお別れすることが、本当に佐助くんのためなのかな。佐助くんは後悔しないのかな……)
何が正解なのか答えの出ない問いに悩まされ、俯いてため息を噛み殺した時–––
佐助「美香さん、こっちを向いて」
(あ……)
顎を持ち上げられ、佐助くんが私の耳元に唇を寄せた。
佐助「美香さん……」
「……っ」
キスされる、と思った矢先–––
「ひゃ!?」
ふっと耳に息を吹きかけられ、くすぐったくて声を上げてしまう。
「な、何するの!?」
佐助「君を笑わせようと思って」
真顔の佐助くんに、首を指先でくすぐられる。
「わわっ、ふふ、あはは、やめて、ギブアップ……!」
佐助「……やっと笑ってくれた」
「どうしてこんなこと……」
佐助「一日の最後に見る好きな人の顔が、哀しそうなのは困る」
(え……)
佐助くんは向き合うように膝の上に私を座らせ、両手で頬を包んだ。
佐助「俺は君の安全を守るために忍びになった。これからは……君の笑顔を守るために、君の恋人になる」
(佐助くん……)
佐助くんの背中に腕を回し、ぎゅっと抱きつく。
佐助「!?」
勢い余って、佐助くんは私を抱いたまま仰向けに倒れてしまった。
佐助「……っ、美香さん……?」
「佐助くん、大好き」
(答えはまだ出てない。でも、ずっと、この人のそばにいたい……。この気持だけは変わらない)
胸元に顔を埋める私に、佐助くんは苦しそうに息を吐きだした。
佐助「……これはこれで、かなり困る」
「どうして……?」
身体を起こしかけて、いきなり視界が反転する。
(わっ?)
柔らかい草むらに押し倒されたと気づいた時には、覆いかぶさる佐助くんが私を真っすぐ見下ろしていた。
佐助「これでも必死に歯止めをかけてたつもりなんだけど、気づいてなかった?」
「え……」
間近で囁かれ、ドクッと心臓の音が耳に響く。
視線を合わせたまま、佐助くんの唇が近づき……