戦国【佐助】幸福12話後半
美香が元就の手に落ちた、翌日–––
堺の港付近の茂みに、身を潜める蘭丸の姿があった。
高い木の上から、蘭丸は堺の港のとある船を、ひたすら見張り続けていた。
傷は癒える気配がなく、疲労が彼の柔らかな頬を尖らせ、目ばかりが爛々と光っている。
蘭丸「あいつは必ずここに舞い戻ってくる……。封鎖が溶けないうちは港に足止めされるはず……。その間に、刺し違えてでも、あいつを……!」
その時–––
元就「……」
港に目的の人物の姿が見え、蘭丸はハッと目を見開いた。
蘭丸「来た……!」
すぐに木から飛び降りようとしたけれど、いるはずのない人物の姿が目に飛び込んできて身体が静止した。
蘭丸「美香様……っ? どうして……!?」
大きく息を呑んだ瞬間、傷が激しく痛み、呼吸が止まる。
蘭丸「っ……この傷じゃ、美香様を救い出して元就を倒すことは……」
絶望に陥りかけるものの、蘭丸はぐっと唇を噛んで踏みとどまった。
蘭丸「こうなったら……あの変テコな忍びの手を借りるしかない……!」
蘭丸は怪我の痛みを無視して木から飛び降りると、風のように茂みから駆け去った。
…………
–––数日後、春日山城。
謙信と信玄が民の平定で出払っている間、春日山城の留守を幸村が預かっていた。
幸村「大怪我をした男が、佐助に会いにきてる……?」
家臣「はっ、火急の用だと申しており、尋常ならぬ様子でして……」
幸村「俺が会う、通してくれ」
家臣「はっ」
駆け出していく家臣の背を見送りながら幸村は顔をしかめる。
幸村「暴動のせいで今、春日山は怪我人で溢れかえってるけど……一体、誰だ?」
いぶかしむ幸村の前に連れてこられたのは、織田軍の会合で見た覚えのある美男子だった。
幸村「な……っ、どうしてお前がここに……? 佐助に用ってどういうことだよ? つーか、その怪我……」
蘭丸「時間がないんだ……! 今すぐ佐助殿を……っ」
幸村「落ち着け、佐助はここにはいねえ。美香を連れて国元に帰った」
蘭丸「……っ、そんな……! じゃあ俺は、無駄足を……っ。このままじゃ美香様が……!」
崩れ落ちそうになる蘭丸を、幸村が駆け寄って支える。
幸村「おい、美香に何があった!? 俺が話を聞く。全部話せ」
蘭丸「っ、だけど……」
幸村「今は敵も味方も関係ねえ! 武将としてじゃなく、佐助と美香のただの友だちとして、お前の話をきかせろ」
迫力のある幸村の言葉に、蘭丸は覚悟を決めた。
蘭丸「……っ、わかった。助け出したあとは、俺のことは煮るなり焼くなりしていい。だからどうか手を貸して」
人払いをし、幸村は蘭丸を自室に呼ぶと、すべての話を聞き出した。
蘭丸が密かに顕如と通じていたこと。
信長を裏切ることができず、佐助と美香を助けたこと。
そして–––暴動の黒幕が顕如の他にいること。
その男、毛利元就は、堺の港を封鎖され手も足も出せなくなった今、反撃のため何を企んだのか、こはるをさらったこと–––
幸村「……嘘ってわけじゃなさそうだな。大怪我を負った状態で敵陣に乗り込んでホラ吹いたって、お前に何の得もねーし」
蘭丸「俺は、刺し違えてでも元就と倒すつもりだった。でも……っ」
幸村「美香が奴にさらわれた。その怪我じゃ、戦いならが美香を助け出すのはまず無理だ。だから……美香と深い仲で、腕の立つ忍びの佐助を頼ることにしたってわけか」
蘭丸が頷くと、幸村は迷いのない瞳で立ち上がり刀を手に取った。
蘭丸「幸村殿……?」
幸村「俺が佐助を探し出して、今の話を伝えてやるよ。今頃あいつ、血眼になって美香の行方を追ってるに決まってる。あいつなら自力で足取りをたどって堺にたどり着くはずだ。佐助は春日山一の忍びだからな」
怒りと苛立ちを隠すことなく、幸村の声が低くなる。
幸村「あいつと合流して、俺も戦う。佐助と一緒に美香を助け出して、毛利元就をブッ倒す」
蘭丸「っ、俺も行……、……っ」
立ち上がりきれずに、蘭丸はその場に膝をついた。
幸村「お前はここで治療に専念しろ。大怪我してるし、血を流しすぎてる。戦力にならねー」
蘭丸「でも……!」
幸村「足手まといは寝てろっつてんだ!」
蘭丸「…………っ」
切なげに瞳を揺らす蘭丸に、幸村は眉をひそめた。
幸村「……怒鳴ってわりー。でも、わかってんだろ? お前もあいつらの友だちなら。お前が無事じゃねーと、美香も佐助も悲しむ」
蘭丸「…………っ」
幸村「あいつらをこれ以上苦しめたくねーなら、お前はここにいろ。いいな?」
蘭丸「っ……、わかった……」
最後の力を振り絞るようにして、蘭丸は幸村の腕をきつく掴んだ。
蘭丸「お願い……! どうか美香様を……っ」
幸村「任せろ」
力強い声音に緊張の糸が緩んだのか、蘭丸は体力の限界を迎え、意識を失い倒れ込む。
幸村「誰か、医者を呼んでくれ! こいつの看護を頼む」
家臣「はっ」
蘭丸を支え、布団に寝かせた幸村は、時を惜しむように支度を急いだ。
義元に留守を頼み、謙信と信玄に留守をする詫びの書状を書き記すと、すぐに城を発った。
幸村「佐助、美香、待ってろ。……必ず無事でいろよ」
…………
(閉じ込められてもう五日……。外の光が入ってこないから時間の感覚が狂いかけてるけど……そろそろ、昼過ぎかな)
殺風景な小部屋の片隅で、私は膝を抱えて小さくなっていた。
連れてこられたこの屋敷は、毛利元就が密かに根城にしている場所らしい。
(駕籠に押し込められていたのは一日足らずだったから、京からそう遠くはなれていないはずだ)
手荒な真似をされることはなかったけれど、手下らしき人が日に二度、食事を差し入れに来るだけで、何の説明もなく放っておかれていた。
部屋は常に締め切られていて、昼なのにほの暗い。
逃げようと試みたものの、入り口も窓も固く閉ざされていて、びくともしなかった。
(っ……佐助くん……)
膝を抱え、会いたい人の名前を心の中で叫ぶ。
(ワームホールが開くのは、今夜……。現代に帰るどころか、このまま二度と佐助くんに会えなかったら……っ)
悪い想像がふくらむのを、必死に振り払う。
(考えるんだ! 佐助くんなら、どんなピンチも知恵をしぼって切り抜ける。私には忍びのスキルはないけど……チャンスはきっとあるはずだ!)
その時、ガラッと音がして戸が開き、入ってきたのは……
元就「よう、久しぶりだな、お姫さん」
(毛利元就……! 名前はうっすら覚えがある。中国地方の有名な戦国武将だ)
けれど、具体的に何をした人で、信長様や謙信様、信玄様たちとどういう関係にあるか、記憶をたぐっても思い出せない。
日本史の知識をちゃんと身につけなかったことを、これほど悔やんだことはない。
(ううん、後悔してる暇があったら逃げる方法を考えないと、怯えてるだけじゃ駄目だ)
元就「はっ、いい目するじゃねえか。嫌いじゃないぜ、鼻っ柱の強い女は」
「……あなたに気に入られても嬉しくないです。私をどうする気ですか」
元就「大事な大事なお姫さんを船に積み込んで、出港するんだよ。港の役人を丸め込むのに時間がかかったが、やっと海に乗り出す算段がついた」
「海……?」
思いがけない言葉に呆気にとられていると、元就さん鼻を鳴らし私へ顔を寄せる。
元就「お前、信長の気に入りなんだろ? 利用できそうな奴の名前は忘れねえタチでな」
「え……?」
元就「挙句の果てには、謙信や信玄にまで目をかけられてるって話じゃねえか。美香……たいした女だぜ、お前」
(どうして、私とみんなのつながりを知ってるの……?)
動揺を押し隠そうと頑張っても、震えずにいるのは無理だった。
元就「いーい反応だ。そういうの、もっと見せろや。とっておきの情報を教えてやるからよ。–––日ノ本全土に広がろうとしてる暴動の、本物の黒幕は顕如じゃねえ。この俺だ」
「え……!? あなた……顕如さんたちの仲間なの!?」
元就「仲間ァ? 笑える冗談だな。あいつらはただの手駒よ。俺の野望を叶えるためのな」
(騙して利用してたってこと……? なんてひどい……)
元就「信長たちは、一時的に講和して堺の港を封鎖しちまえば『詰み』だと思ってるようだが、甘ぇ甘ぇ」
元就さんは、くく、と喉を鳴らして心底楽しそうな笑い声を部屋に響かせる。
元就「とっておきの切り札が残ってる。美香って名のな」
「私……?」
元就「お前をダシに、信長たちを海へ引きずり出す。陸が駄目なら海で祭りをブチ上げるまでよ」
(祭りって、まさか……っ)
「私を人質に……海戦に持ち込むつもりなんですか!?」
私を睨み据える元就さんの口の端がつり上がった。
元就「ご明答。なかなか賢いお姫さんだ」
「私は身分も何もない人間です、そんな価値はありません!」
元就「お前の価値を決めんのは、お前じゃなく、信長たちだ。俺の見立てじゃ、お前、結構な高値がついてるぜ?」
凄みのある眼差しを向けられ、必死に声が震えないように言い返す。
「たとえ信長様たちがあなたの誘いに応じたとしても、一時休戦をして手を組んだ信長様や謙信様たちに、あなたひとりで敵うはずがないです……! 名誉も得られない、利益があるわけでもない、ただいっそう世が乱れるだけ……そんな戦に、何の意味があるんですか!?」
元就「意味はあるさ。平和ボケしたお姫さんには、わかんねえだろうがな」
元就さんの目がぞっとするほど危険にギラついた。
元就「……俺はよ、火の海が見てえんだ」
「は……?」
元就「名誉? 利益? 平和? クソ喰らえだぜ、そんなもん。この世ってのは、もっと生臭くて汚え、ドブ沼なんだよ。力のある奴だけが、弱い奴を食い破って生き延びる……それが人間様の本性だ。俺は必ず証明してみせる。この世は地獄ってことをよ」
(何を、言ってるの……?)
元就「あっさり負ける気はねえぜ。どんな手を使おうと、信長、謙信、信玄…あいつら全員の喉笛噛み千切って、思い出させてやる。力こそ正義、戦こそが生き延びる悦びってのをな」
(戦って血を流すこと……それ自体が目的だって言いたいの……?)
狂気をはらんだ言葉だけれど、とても冗談を言ってるようには見えない。
元就「どうした、ずいぶんと顔が強張ってんな」
「本気なんですね。戦が生きる悦びなんて、本気でそんな恐ろしいことを……」
元就「恐ろしい? 楽しいの間違いだろ。戦場に立った奴なら、一皮むけば同じことを考えてるに決まってる。お前のそばにいた謙信の忍びも、似たようなことを考えてるかもしれねえぜ?」
(佐助くんがそんなこと、考えるはずない……! この人のこと、とても理解できない)
薄く笑う元就さんを前に、背筋が寒くなる。
元就「具合のいいことに、ここ堺は日ノ本の玄関口だ。まずはここを火の海に変えてやる。一発目の花火を上げるのに、うってつけの場所だ。美香、俺の一世一代の火遊び、付き合ってもらうぜ? –––立ちな」
笑みを消した元就さんが、凄まじい表情を浮かべる。
(……凡人の私でも、わかる。言うことを聞かないと、即、殺される)
震えながら立ち上がろうとするけれど、
「あっ……!」
足に力が入らなくて、座り込んでしまう。
元就「……おいおいおい、この程度でへたりこんでちゃ、この先やってけねえぜ? 自分の足で立ってついて来い。首根っこ掴まれて引きずり出されたくはねえだろう。言っとくが……逃げ出そうなんて思うなよ?」
元就さんは立てた親指で首を一文字に掻っ切る仕草をしてみせ、笑いながら外へ出ていく。
(……今は、従うフリをしなきゃ。生きてさえいれば、逃げ出すチャンスはある! 信長様や謙信様、信玄様なら、きっとあの人を倒せるはずだ! でも……っ)
ワームホールが開くのは今夜。
海に出てしまえば、ワームホールの出現までに京に行くのは不可能だ。
きっともう二度と、現代に戻れない。
(っ……佐助くん……)
私は爪を立てて、急いで漆喰の壁の隅に文字を刻みつける。
(佐助くんは優秀な忍びだから、私を探して、きっと近くまで来てるはず。この場所も佐助くんなら見つけられる。だから、せめて……)
元就の声「おい……、とっとと来い。それともこの場でくたばりてえか?」
「っ……今、行きます」
渾身の力を込めたせいで爪が欠け、指先は震えているけれど、やることがまだ残っている。
私はお守りがわりにずっと持っていたある物を懐から取り出し、行灯に差し入れる。
火がついたのを確認してすぐに、元就さんの声を追って部屋を出た。
(お願い、佐助くんに届いて!)
廊下の途中で立ち止まり、祈りを込めて、火をつけたものを庭へと投げ入れる。
いつか佐助くんがくれた狼煙が、空へと真っすぐに細い煙を上げ始めた。
…………
佐助「美香さん……!」
美香の足跡を追い、堺の港町までたどり着いていた佐助は、狼煙の合図に即座に気づいた。
か細い白煙を上げる屋敷に駆け込んだ時、中はすでにもぬけのカラだった。
部屋の行灯の日は消されたばかりで、つい先刻までここに人がいたことがわかる。
佐助「……! あれは……」
佐助が身体を寄せた壁には、メッセージが残されていた。
爪で刻まれたらしいその文字に、見覚えがある。
『いざこざに巻き込まれたけど私は無事。信長様たちが助けてくれる。だから佐助くんは今すぐ京に戻って。そして、元の時代に帰って』
佐助「な……っ」
『謙信様や幸村たちの思いを無駄にしないで。私の思いも。私はあなたに平和な世界で生きて欲しい。愛してる。世界で一番愛してる。だから、私のことは忘れて、生きて。さよなら』
佐助「っ…………」
文字は掠れていて荒く、短時間で慌てて刻まれたことがわかる。
追い詰められた彼女の決意と指先の痛みを思い、胸を引き裂かれた。
声もなく壁の前で立ち尽くす佐助の背後で、かたりと物音が聞こえ……
佐助「っ!」
条件反射で刀を抜いた佐助が飛びかかると–––
幸村「ったく……再会の挨拶にしては物騒すぎんだろ」
佐助「幸村……!?」
佐助の振り下ろした刀を軽々受け止め、幸村は頷いた。
幸村「相手の顔くらい確かめろよ、らしくねえ。どうやら一足遅かったみてえだな……」
佐助「どうして幸村が……」
交わる刃越しに、幸村が力強い笑顔を浮かべる。
幸村「全部話す。だから落ち着け。最強の味方が来てやったんだからな」